長岡壽一講演録(新しい法律相談)



リーガルカウンセリング
---新しい法律相談のマインドとスキル---


大阪弁護士会 総合法律相談センター 面接技法研修
2004(平成16)年10月27日(水)午後3時〜5時
大阪弁護士会会館
講師  弁護士 長 岡 壽 一(山形県弁護士会会員)
     元 日弁連公設事務所・法律相談センター 委員長



日弁連ひまわり基金
 
 それでは、始めさせていただきます。
 私は、今ご紹介いただきました山形県弁護士会会員の長岡壽一(ながおか・としかず)でございます。私の紹介は、今日お配りした資料の最後のページに書いてありますので、ごらんください。期は30期でありまして、27年ほど弁護士をやっております。
 平成3年から日弁連で新しくつくられました法律相談関係の委員会は、いろいろ名前が変わって、現在では「日弁連公設事務所・法律相談センター」という名称になっております。私はこの委員会に十数年来所属しておりまして、その委員長もさせていただきました。
 その委員会活動の中では、法律相談センターを全国に展開するということがございました。これはほぼ完成しております。
 それから、最近数年間では、弁護士のいない過疎地に公設事務所をつくっていこうという運動を展開しております。こちらにつきましても、現在まで約30カ所に公設事務所がつくられ、そして20代の若い弁護士から50代、60代あるいは70歳前後の方まで、幅広くその公設事務所に赴任されて、お仕事をされているという状況がつくられつつあります。さらにこれをもっと広く多くつくっていきたいというのが、日弁連の一つの課題でございます。
 そのために、今まで毎月1,000円の「日弁連ひまわり基金」の特別会費を納めていただいておりますが、今年(2004年)の12月で、その期限である5年間が過ぎようとしております。さらに、来年の1月からは、これを充実させるために500円増額して1,500円納めていただくということを総会に諮ることになっております。
 
法律相談の拡大と質の向上
 
 そのように、日弁連あるいは各地の弁護士会が相談センターを広くつくっていったり、あるいは公設事務所をつくるという、いわば量の拡大をする中で、この量が満足されますと質の問題に関心が移ってまいります。質につきましては、大きく分けますと2つの意味合いがあろうかと思います。
 一つは、いわゆる専門領域について、専門的な知識、経験を持った弁護士を養成して、そしてそのような特殊な場面については弁護士の中でも専門的に有能な弁護士が対応できるようにしましょうということです。いわば専門的なという意味で、その間口は狭いけれども、中身が深いという意味での専門性ということの質であります。
 もう一つは、誰でも担当するような一般的事案の相談における質です。今日おいでいただいた皆さんは、お聞きしますと57期の方が大部分でいらっしゃるということでございますので、今日のお話をお聴きいただく方は、57期の方々だということを前提として、そうでない方については大変失礼いたしますが、お話をさせていただきたいと思います。
 
多重債務の相談
 
 例えば全国の相談センターでいろいろな相談案件をやっておりますと、一番多いのは多重債務者の相談です。つまり、サラ金とかクレジットでお金を借り過ぎてしまって、自分の収入では返せないというような場面が何といっても一番多いです。どこの相談センターでも多いし、それからどこにつくられた公設事務所でも一番多いです。
 とくに公設事務所の場合には、今まで弁護士が何十年間も一人もいなかったというような場所がございます。そういうところでは、多重債務で苦しんでいる方々は、身近に弁護士に相談できないわけです。それから、弁護士に相談するべきなのかどうかという判断すらできない方が多いです。
 というのは、契約は守られなければならないというのは、常識としてどなたでも分かる契約自由の大原則です。そうしますと、借りたものは返さなければならない。私は確かに借りた、しかしお金がないから返せない、そんな自分勝手なことで相談したってどうにもならないんじゃないか、という思いが本人にはあります。法律的な観点から、例えば破産法があるんだとか民事再生法があるんだとか、いろいろな交渉の材料があるんだというようなことは我々の常識かもしれないけれども、借りた本人からすると決してそうではないわけです。だから、弁護士が今までいなかったところに出ていって、そしてその弁護士には何でも相談できますよ、サラ金などについてもお困りの方はどうぞいらっしゃいということになりますと、これまでの潜在的な需要といいますか、今まで分からなかった相談者がその公設事務所にたくさん押しかける、と言うと言葉が悪いですけれども、急に次々と相談や依頼に来られます。開設した最初の1年間で多重債務者の相談が全体の相談件数の半数を超えているというのも珍しくないです。それだけに多重債務者問題というのは、どんな地方、地域でも起こり得ることだということです。
 
家族法関連の相談
 
 それから、類型として次に多いのが離婚の相談です。離婚あるいはそれに関連するような相談がどこでも多いです。それから、親族関係で言いますと、遺産分割その他の相続に関連する案件がやはり多いです。多重債務と離婚関係と相続関係の3つの類型が大抵の相談センターでベストスリーになっているようであります。
 そうしますと、この3つというのは、どこで弁護士をやっていても同じように相談に関与して、さらに事件を引き受けて担当していくという場面が目の前に出てくるわけです。そのような相談というのは、先ほど専門分野ということでの質の問題が課題だと言いましたけれども、この場面とはまったく異なる一人ひとりの弁護士、すべての弁護士が等しく同じように対応しなければならない場面であります。
 専門家の認定のための研修というものとは別に、今日、大阪弁護士会で企画されたような法律相談そのもののあり方についての研修とか、あるいは一人ひとりが自覚を持った訓練を日常的にやっていって、そして日々自分をチェックしていくというシステムが必要とされるわけであります。その一つのきっかけになればありがたいと思ってお話をさせていただきたいと思っております。
 そこで、どこにでもあるような一般的な相談という場面を今日は前提として、皆さん方が毎日相談を受けられる中で、今日の相談も明日の相談も同じような姿勢で臨むことが大切でしょうということで、共通する題材としてお聴きいただければありがたいと思います。
 
相談の研修訓練
 
 ところで、私は法律相談はいたしません、相談者から法律相談を受ける仕事はしませんという弁護士は、ほぼ絶対と言っていいぐらいいません。つまり、事件を引き受けて訴訟とか交渉その他の代理人としての業務を行なう前提として、必ず法律相談があります。そして、法律相談だけで終わる場合も多い。これは経験上よく分かりますね。
 そうしますと、すべての弁護士にとって、法律相談というのは一番最初の業務として、携わるべき分野として目の前にあるということであります。それでは、司法研修所での1年6か月の間に、法律相談のやり方についてどれだけ研修が行なわれているのでしょうか。あるいは、弁護士実務修習の中での3か月で、弁護士会が、あるいは指導担当の弁護士が、法律相談のやり方をシステムとして、あるいは分かりやすく自分の経験も踏まえ、いろいろな講義や実務的な経験を伝授しているのでしょうか。私は30期で二十数年前に研修を受けたわけですけれども、そのような機会はほとんどなかったです。最近おたずねしますと、講義の中でそれらしき問題意識を持ってお話をされる研修所の教官もおられて、その方から聴く機会もあるというようにはお伺いしております。しかし、やはり誰もが一番最初に担当すべき法律相談について、十分な研修の機会が与えられているということはない。それが現実だと思います。
 
職人芸?
 
 そこで、法社会学のある学者は、弁護士のいろいろな相談場面に実際に立ち会ったりして研究調査をされて、弁護士の行なう法律相談を、職人という言葉で表現されておられます。つまり、職人というのはこつこつと自分の技術を身につけて、そして先輩がやっているものを少しずつ自分なりに吸収して自分を一人前にしていくという過程をたどっていきます。それと同じように、弁護士が行なう法律相談というのも、その職人芸に近い要素が多いのではないかという指摘をされております。
 実際にそういう傾向が現にあるし、これからも特に意識的に教育システムを変えていかなければ同じようなことが続くのではないか。そうしますと、職人として一人前になるような共通システムというのはないわけですから、自分がよかれと思って自分自身を成長させていくということしか動機づけとしてはないことになってしまいます。そうしますと、法律相談という大事な場面において十分な研修や教育や養成システムがないというのは、やはりいろいろな意味で問題がありますし、これからの大きな課題だということが言えると思います。
 
従来の法律相談の特徴と実情
 
 いろいろな意味で問題があると言いましたけれども、20年くらい前であれば、だれもそんな問題があるなんていうことは意識もしなかったし、指摘もしなかった。なぜかというと、法律相談というのはどこで行なわれますか。法律事務所の中で行なわれますね。それから、相談センターの中でも行なわれます。先ほどここに来る前に、大阪弁護士会の相談センターの建物に入って見学をさせてもらいました。相談室がたくさんありました。だれもいない部屋をのぞいてみました。大変狭い部屋で、密室になっております。そこに小さな机があって、いすが3つか4つ置いてあります。いすが向かい合って置かれておりますけれども、一方のいすにはだれが座るんでしょうか。そう、弁護士が座ります。もう一つのいすには、相談者が座ります。それをだれか見ていますか。監視カメラもないです。つまり、だれからも見られない密室で2人だけで相談が行なわれるということです。
 そうしますと、その弁護士がどんな相談を受けているのか、どんなアドバイスをしているのか、だれも分からないわけでしょう。中身ももちろん分からないし、どんな態度で、どんな言葉遣いで助言をしているのか、あるいは相談を聴いているのかも、まったく分からないです。その人しか分からない。だから、誰からも批判のされようがないわけです。そういう場面がずっと続いていた。昭和の年代では、どこでもそのような場面が当たり前だったんです。
 
法律相談センター(LC)の展開
 
 それから、もう一つ当たり前だったのは、昭和の時代には法律相談センターなどというものはなかったんです。大阪弁護士会は、全国に先駆けて、弁護士会自体が相談センターをつくって運営されておりますし、今でも日本で最も進んでいるシステムを確立されて、日々の相談業務を行なっておられる、最も先進的な単位会の一つであります。私は、全国の弁護士会を見て、明らかにそういうことが言えます。
 昭和63(1988)年ころまでは、弁護士会が相談センターをつくるなどということはやるべきでないし、やってはいけないことなんだ、と考えている単位会が過半数だったんです。今、皆さん方は、相談センターがどこの単位会にもあって、そこに行けば30分5,000円でどなたでも相談を受けられるということを、当たり前のように認識して弁護士になられました。しかし、20年前は逆だったんです。弁護士会が相談センターを設置して相談者を受け入れるなんていうことは、弁護士会の目的の範囲外である、そんなことをやってはいけない。これが過半数の単位会の常識だったんですが、大阪、東京、福岡、札幌という単位会が、私たちは相談センターの事業をやって、それだけの成果を上げています、との情報を全国に流しました。
 それが全国に波及しまして、昭和63年に、この大阪で、一番最初の法律相談についての全国のシンポジウムといいますか、弁護士会同士の情報交換のための協議会が行なわれました。そして、翌平成元(1989)年からは、日弁連が主催をして、毎年、「法律相談事業に関する全国協議会」を行なうようになりました。その全国協議会の中で、大阪とか札幌という先進的な単位会の相談事業の運営のやり方を紹介しまして、今までやっていなかったような単位会に次々と広げていった。そして、日弁連もそうあるべきだと、弁護士会がやるべきなんだということを後押ししていったというのが、今までの相談センターの歴史であります。そのような中で、皆さんは相談センターがあるのは当たり前だという意識のもとに、今弁護士になられたということです。
 
弁護士会LCへのクレーム
 
 法律相談センターがなかったような場合と、単位弁護士会がセンターを運営するようになった場面とと、比較してみます。密室で、それも法律事務所の中の密室で行なわれているような場面については、誰からも批判されないし、それから相談を受けた人から苦情の申し入れもないというのが一般的だったんです。相談者が不満を持ったとしても、自分が選んで行った法律事務所だし、そこで文句を言ってもどうにもなるものでもないなと思って、あきらめてしまいます。
 しかし、相談センターがどこにでもある、その運営をやっているのは公の弁護士会だということになってくると、話が全然違ってくるでしょう。相談者側においても、30分5,000円と決められて、私は5,000円という対価を払って反対給付のサービスを受けるんだと、それは当然の権利でしょう、という意識になってまいります。そして、それを運営しているのは一人ひとりの弁護士ではなくて、公の法人である弁護士会が運営をしているということです。
 そうすると、相談センターの密室の中で相談が行なわれて、私は5,000円払ったにもかかわらず十分話を聞いてもらえなかった、あるいはいままで聞いたことのない法律用語らしき言葉をいろいろ言われて決めつけられて、何だかわけが分からないうちに相談が終わっちゃった、30分だから帰ってくださいと言われた、あるいは態度が横柄だ、などというクレームが多いんです。いわばいすにふんぞり返るような姿勢、それから正面から相対しないで、脇の方を見ていいかげんな受け答えをしてるんじゃないかと受け取られること、というようないろいろな不満が、弁護士に対してではなく、センターを運営している弁護士会に寄せられるようになったんです。現在もそうです。大阪ぐらいの大きさになると、相談者からのクレームの出てこない日はほとんどないくらいじゃないんでしょうか。
 
弁護士会の危機意識
 
 先月、札幌弁護士会からお呼ばれいたしました。札幌弁護士会は、センターができてちょうど30周年なんだそうです。それで、センターがあるのが当たり前のようになって、いわばマンネリ化している傾向もある。だから、この際、センターとしての質を高めてみんなが積極的にその中で仕事ができるように、そして市民の方々の期待に十分こたえられるように体質を変えていこうではないか、という意識のもとに、いろいろな改革をしておられます。
 その中の一つとして、シンポジウムを開いて市民の方にも参加していただいて、弁護士の意識のあり方というものを検討したいということでお話をする機会がございました。そこでもやはり弁護士会の相談センター運営委員会側が危機感を持つ一つのきっかけになっているのは、相談者からのクレームが多いということなんだそうです。そうしますと、弁護士会は、密室で1対1でやっているんだから判断できませんよということだけでは済まされない状況に立ち至っています。では、どうすればいいのか。ここが難しいところですし、今日の研修の本来の趣旨がそこにあるんだろうと思います。
 
相談の質と改革の視点
 
 そこで皆さん、どうなんでしょうか。法律相談というのは、弁護士から見て何をするのが法律相談なんでしょう。従来の多くの考え方は、法律の知識がない、手続きについても分からない、その結果どんな権利が実現したり、あるいは義務を負担しなければならないのか分からない、つまり法律的な知識がないから教えてもらいたい人が相談に来るんだ、その知らない人に知識を教えるんだというのが法律相談である、というものの考え方をしている人が相当多かった。相当というよりも、大部分そうだったのかもしれません。
 そうしますと、そのような意識の中で相談を行なうということになれば、できるだけ簡潔に法律に関する要件、つまり紛争の要点を必要な部分だけ的確にとらえて、それに対する法的な判断と手続きの説明をする、これでひとつの法律相談は成り立つという考え方が基本にあっただろうと思います。
 しかし、本当に相談者は分からないから来るんでしょうか、という疑問があります。最近はいろいろな本が出されております。離婚の本、交通事故の本、多重債務者の破産の仕方なんていう本もたくさん出てます。それから、インターネットで調べれば、いろいろなホームページが必要な知識を与えてくださっております。それでもなおかつ弁護士に面談して相談する意味はどこにあるんでしょうか、ということです。
 ですから、知らないから来るということだけではない。もちろんそのような方もいますけれども、それ以上に何かを求めて来るんだ、ということを、我々は認識する必要があると思います。それが何なのかということを分かること、あるいは分かろうとすることが、今弁護士になられた方のこれから弁護士として自信を持って仕事をしていけるような体質をつくる、一人前の職業人として自分をつくり上げるための毎日の欠かせない意識ではないかと思います。
 
法律相談の構造分析
 
 そこで、その法律相談の構造を分析してみますと、弁護士の頭の構造は、法律が先にあって次に相談があるんです。つまり、法律という規範あるいは要件というものが先に頭に入っております。例えて言うならばネット、頭の中に網がつくられております。そして、その網にかかる事実だけを相談の中から取り出して、網にかからない部分は法律的な要件ではないから、法律判断には影響しないということで逃してしまいます。網にかかったものを全部総合して、法的な効果あるいは手続きというものをつくっていく。そして、それを相談者にお教えする。これが法律家の一般的な相談のやり方、あるいは相談に対応する場合の頭の中の構造だと思うんです。
 しかし、相談者の側の認識と意識の構造はどうでしょうか。相談者の側は、自分は今悩んでいる、そして解決しなければならない場面にあるが、自分だけでは解決できない、だから今相談センターに、あるいは法律事務所に、弁護士を訪ねてきたのです、という場面です。そうしますと、その相談者にとっては、最初に法律なんかないし、あるいはどの法律が適用されるのか自分には分からない、あるいは分かったつもりになっていても大抵は間違っている、という場面です。
 つまり、相談者の側からすると、まず自分は困っているということがあるんです。困っている事実があるわけです。その困りごとのもとになっている原因があるわけです。その原因は、あくまでも法律という規範ではなくて、事実なんです。例えば人と人との関係で困っている。法律は、大抵は人と人との関係を規律するものですから、相談センターに来られる方はその人と人の関係で困ったという事実があるんです。自分がこんなに困っているんだからここに来たんだということをまず分かってもらいたい。そして、最後にはもちろんその困った状況をどのようにすれば解決、解消できるんだろうかということを自分でも知りたい。自分で理解をして、そして納得をして、最後には満足を得たい、という心の構造があります。
 
法規範から?、事実から?
 
 弁護士の方は、法規範から出発するわけです。相談者の方は、逆に規範を当てはめる前の事実から出発するわけです。方向性がまったく逆でしょう。そこで考えることは、本来あるべき出発点はどっちなんでしょうかということです。法律相談の出発点は規範なのか事実なのか、どっちなんでしょう。そう、事実ですよね。
 つまり、自分の悩みがあるから相談が始まるんです。法律があるから悩みが出てくるわけじゃないです。これは考えればすぐ分かることなんです。事実の方が、つまり相談者の悩みの方が出発点です。そこをまず弁護士は理解する必要がある。だとすると、自分の法律的な知識とか評価というもので、最初から、あなたの悩みはこうなんでしょう、それだったらこんな方法があるんだと、その方法をとればあなたはこのようになりますよということを教えても、困っている相談者本人はそれで納得したことにはならないんじゃないかということです。
 そこで、先ほどの質の問題で、1つは専門的なものだと言いましたけれども、専門的な場面であれば大抵は合理的に割り切れることが多いです。例えば知的財産権とか税務紛争であるとか、一般的な企業の組織、運営、経営、取引きなどに関する場面での相談というのは、比較的知識その他、戦術、戦略と言われるようなことで割り切って考えることができる局面が多いと思います。しかし、先ほど言いました一般的な相談事案で多いと言われる離婚であるとか相続、あるいはサラ金などの問題というのは、割り切って公式に当てはめて解決していけるというものではありません。そうすると、その一般的な法律相談における我々が提供するべきサービス、弁護士としての助言その他の対応の仕方というものはどうあるべきなのかを考えてみる必要があります。
 
コンサルテーション?
 
 そこで、私たちが研究会をつくって研究しながら提案しているのが、カウンセリングというものの考え方であります。もう一つは、同じ英語でコンサルテーションというものがございます。先ほど大阪弁護士会の相談センターの建物を見学しましたが、そこには英語では書いてなかったようです。東京(千代田区霞が関)にあります日弁連の建物(弁護士会館)では、東京、第一東京、第二東京の3つの弁護士会が相談センターを共同で運営しております。
 そこに行きますと、法律相談センターと書かれた下に、英語でLegal Consultation Centerと書いてあります。Legalは法律のということなんですが、続いてConsultationという言葉が使われています。一般的な英語じゃなくて法律家が使う意味での辞書がありますが、そこで法律相談という日本語を英語で何ていうのかと引いてみますと、Counselingと書いてあるんです。つまり、弁護士は日本語で法律相談という言葉を常に使いますけれども、アメリカではどうなのかというと、アメリカの弁護士は法律相談のことをカウンセリングと言ってるということです。アメリカでは今はコンサルテーションではないみたいです。昔はコンサルテーションだったのかもしれませんが。
 
カウンセリング的法律相談へ
 
 今日の文献に紹介しておりますが、「現代のエスプリ」というものを出版いたしまして、そのエスプリの書評を、当時の東京大学教授であります――今は中央大学移られたようですが――柏木昇先生が「判例タイムズ」の1084号に書いてくださいました。その書評の中にこういう部分があります。柏木先生は、三菱商事だったと思いますが、法務部長をやられておって、それをやめて東大の教授になられた方ですから、いろいろな外国の企業の取引きなどについてもお詳しい方です。
 その方が書いておられるところを見ますと、1970年代からアメリカの弁護士の法律相談に対する考え方とか実際の取扱方が大きく変わってきたというんです。その変わってきた方向性というのは、今お話ししつつあるようなカウンセリングというものの考え方です。つまり、弁護士は法律から出発して、法律の知識が分からない人に、つまり相談者にお教えしましょうということを一般的な相談のあり方としてやってきたけれども、それが1970年代から大きく変わっていった。法律的な知識をお教えするのはもう当然のことですけれども、その前に相談者の悩み、相談者が何を聞きたいのか、あるいは何を聞いてほしいと希望しているのか、という相談者の心理というものをよく理解したうえで、それを受け入れて期待にこたえるような相談のあり方が求められるようになったと紹介されておられます。
 
競争の中の差別化
 
 そのきっかけになったのは、柏木教授の指摘では、弁護士の競争の激化だろうということです。つまり、アメリカでも急激に弁護士の数が増えていって、今は100万人と言われています。その中で、やはり差別化といいますか個性化といいますか、それをそれぞれの弁護士が工夫して、自分はどういう相談の応対をしていこうとするのかを明らかにする、特徴をつけるということが必要になってきた。
 相談者の信頼を得るためには、相談者の悩みというものをまず分かること、その悩みそのものを理解することから始めなければならない。法律の要件という網(ネット)の中に入ったもの(要素)だけをすくい上げるのではなく、そうでない部分もすべて含めてまず受け入れましょうと。そして、その人が今直面している困り事に弁護士もよく理解を示した上で、その困りごとが解決できるような手だて、そしてもちろん法律的に解決できる分野、法律的には対応できない部分もたくさんあるわけですから、それがどういう部分なのかをよく分かるように説明していこうではないかと。
 それによって、相談者と弁護士との間の一体感といいますか、相談のわずかな時間の中で2人の人生が一つの課題を通じて共有される場面をつくるということになるのではないかと思います。そして、そのような対応の仕方というものにアメリカの弁護士は30年ぐらい前に大きくかじを切ってきたということが紹介されております。
 
カウンセリングとは
 
 そこで、カウンセリングという言葉についてですが、これは心理学の用語だから今から心理学を勉強するのも大変な話でしょうと、皆さん心の中で思われていたかもしれませんが、私自身、別に心理学を勉強したことはないんです。また、心理学を本格的に勉強するべきだとは考えないんです。ただ、基本的な人への対応の仕方、つまり相談を受ける人への対応の姿勢を自分自身でチェックする幾つかのポイントというものを忘れないようにしていけば、それで自然とカウンセリング的な力が身につくのではないかと思っております。
 心理学の辞書を見ても、カウンセリングの定義というのは一義的に決まってないんです。それから、心理学そのものの辞書を見ると、カウンセリングというのは小さくしか扱われていません。それよりも最近は、学問領域としてカウンセリングそのものについて検討されている。心理学とは別の領域として、専門分野としては別の領域としてとらえられている。そして、心理学辞典とは別に、カウンセリング辞典というものもつくられているぐらいです。
 そこで、私たちが法律相談の中で注意すべきカウンセリングの視点というのはどういうことかというと、先ほどもお話ししたところからご理解いただけると思いますが、相談者が中心なんだということです。相談者が出発点なんだ、すべての情報は相談者が持っている、そうですよね。それから、相談者の人生なんだから、例えば権利があるといったって、その権利の実現を望んで法律手続きをするか、あるいは権利はあってもあきらめるか、その決定をするのは誰か、すべて本人が決めるんだということです。ですから、すべて最初から最後まで、あらゆる場面において決めるのは相談者本人であるということです。弁護士は何をするのかというと、その本人が自分で納得して決められるような助言その他の援助をしてあげるということです。これがカウンセリングの基本です。だから簡単な話でしょう。それだけなんだと思います。我々がカウンセリング的な姿勢で相談者に臨みましょうというのは、基本はそこだと思います。
 
傾聴、受容、共感
 
 そのカウンセリングの中で、キーワードが3つ出てきます。この前、札幌の弁護士の話を聞いていたら、このキーワード3つを持ち歩く日程表などに書いて、いつも忘れないように見ながら自分をチェックしてるんですよと言ってた弁護士がおられました。
 その1つは、傾聴ということです。傾聴というのは、人の話をよく聴く、聴き入れるということです。積極的にその人の悩みごと、困りごとを十分聴くということです。
 それから、2番目の言葉が受容ということです。受容というのは、その傾聴した内容を受け入れるということです。傾聴したけれども、あんたの考え方はおかしいよ、そんなことで悩んでいるのはばからしいよということで否定してしまうと、受容の反対になってしまいます。だから、その悩みごとそのもの、あるいはよって来たる原因、背景というものを受け入れるということです。
 それから、3番目は共感、ともに感ずるということです。つまり、悩みごとを持って相談に来られている方と相談を受けている弁護士の2人が、その相談者が持っている悩みについてよく聴いて受け入れて、そしてその原因になっている問題点、背景、それから人間関係、その人生そのものに共感をしていこうということです。
 
キーワードを身近に
 
 相談が始まる前にこの3つを心がけて、今日これからの相談に向かおうと相談者を受け入れる。相談が終わったならば、30分間のことですから、この3つがやれただろうかなということで自分で自分をチェックしてみる。そしてまた次の相談に臨む。
 私は、冗談半分で、「傾聴 受容 共感」と書いて、弁護士の方から見えるところに、額にでも入れて掲示しておいたらいいんじゃないかと言うんです。そうすると、相談のときにそれを見ながら、ここであまり早合点したり早く結論を出してはいけないな、ほとんど関係ない愚痴ばかりだけれども、もう少し聞いてあげようというような対応ができるのではないか、という話をしたことがあります。
 今お話ししたように、カウンセリングというのは、相談者の自己決定、自分の悩みなんだから、自分でどうするのかを決められるように、弁護士が援助していきましょう、というのが基本です。その援助の一つの手段として、法律の専門家であって法律を聞きに来ているわけですから、法律の手段というもの、法律の規範を当てはめた場合の結論的なものが出てくれば、それもお教えするということは当然含まれますが、あくまでも何を選ぶかは本人が決めることなんです。それを尊重していきましょう。そのために、よく聴く傾聴ということと、受け入れるという受容、そして共感の3つの言葉を手帳にでも書いていただいて、日々チェックをしてみましょうということであります。
 
心理カウンセリングとの違い
 
 ところで、心理学的なカウンセリングというのは、一般に心理カウンセリングと言われてますが、これは聞くだけです。つまり、相手が悩んでいることとか困っていることを聞くだけなんです。カウンセラーから、あなたはこうすべきだ、このように行動すればあなたの悩みは解決できるというようなお教えをしないということです。これが心理カウンセリングと言われるものの特徴です。ただ聞くだけなんです。
 その一つの全国的なシステムで最も多く営まれているのは、皆さんも聞いたことがあると思いますが、いのちの電話というものであります。それぞれの都道府県にいのちの電話の支部のような組織がありまして、そこで数十人から、多いところでは二、三百人ぐらいいるんでしょうか、相談担当者が、24時間体制で待機して、電話で悩みを受け付けている。さる10月23日の読売新聞に、ちょうどいのちの電話の記事が載っておりました。要点だけを読んでみますと、いのちの電話というのは、それぞれの都道府県で行なわれておりますけれども、これは電話相談だけで面談はしないんです。いのちの「電話」と言うくらいですのでね。昨年1年間に電話相談で受け付けた件数が、全国で71万件だそうです。
 いのちの電話の「いのちの」という意味は、自殺をしたい、もう絶望から死にたいという思いを持っている人がこの電話を利用して、自分はこんなことで悩んでいる、困っているんだということをお話しされる。それを相談担当者が電話で聞き入れる。聞いて聞いてどこまでも聞くんです。相づちは打つけれども、自分の方から自殺なんてやめなさいよということは一切言わない。すべて聞くだけです。そして、聞いていく中で、しゃべっている本人、悩みを持った本人が自分の立場というものを自分自身で理解してくる、自分自身で体系だって問題を整理できるようになる、そしてその整理した中で自分自身の力で立ち直っていく、ということを期待しているのが、このいのちの電話のシステムであります。
 
いのちの電話から学ぶ
 
 私は、数年前に、いのちの電話を運営されている方からお話をお聞きする機会がありまして、これは何とすばらしいシステムなのかと感心いたしました。弁護士との比較で感心した部分をお話ししますと、先ほどもちょっと問題として言いましたが、弁護士はできるだけ法的な結論をお話しして、そして理解してもらってお帰りいただくのが相談だと考えていたんですけれども、いのちの電話の場合にはすべて聞き入れるだけであって、悩んでいる本人の力を本人がそこで確認していくということなんだというカウンセリング的な姿勢が1つあります。
 それから、もっとすばらしいと思ったのは、そのような相談員として受話器をとるためには研修をしなければならない。弁護士が相談を受けるためにどれだけの研修をしているのかというと、本当に体系的な研修というのはないに等しいです。それと比較して、いのちの電話の研修たるや、何と2年間やらなきゃならないんです。ちゃんと研修もシステムがあって、自分がその講習の先生からお話を聞くというものだけじゃなくて、ロールプレイングのようなことも含めて、2年間研修をしなければならない。さらに、その研修の受講料は自分持ちなんだそうです。これもすばらしいじゃありませんか。そして、無償ボランティアです。つまり、相談は24時間だから夜中でも受け付けているわけですけれども、それを担当しても1円も報酬はないんです。対価は何もない。そういう方々が全国にたくさんいらっしゃるということであります。
 そこで、弁護士会と比較して、弁護士会はもっと相談そのものについての研修・訓練と弁護士の相談資質の養成というものを、システムとしてやっていかなければならない。いのちの電話の相談員と比較してどれだけのいわば惨めな状況にあるのかということを思い知らされたことがございました。そんなことも私の一つの動機になりまして、法律の知識を当てはめればよいということとは別に、相談者の立場で相談者の人生というものをどのように受けとめるべきなのかということを考える一つのきっかけになっていった次第であります。
 
聴くだけでは済まない法律相談
 
 ところが、いのちの電話や一般的に言うカウンセリングの場合には、聞いて聞いて相談者の話を聞くだけなんですけれども、法律相談の場合にはそうはいかない。本筋は法律問題の相談ですから、権利、義務にかかわるものです。そして、その権利の実現についての手続きが必ずつきまとうものです。ここに弁護士が相談を受けるということの特徴があるわけです。これを抜きにして聞くだけでいいんだなんていうことでは、弁護士の職務は達成できないわけであります。
 そこで次に、弁護士の職務である法律問題の相談を受ける場面で、どのような注意が必要なんだろうかということにお話を進めたいと思います。
 
実現目標の確認
 
 まず、弁護士に相談に来られる方は、先ほどのいのちの電話とか心理的なカウンセラーの相談を受けるのとは違って、何らかの実現目標を持っておられます。ここが大きな違いです。つまり、聞いてもらえればいいということで来られる方はほとんどいないです。自分が話したうえで、その自分の権利あるいは悩んでいる問題状況の解決はどうすればいいんでしょうか、それはできるんでしょうか、ということを聞きたいわけです。ここが法律相談の特徴であります。
 ですから、何を目的として今日相談に来られたのかということを正確にとらえることが、法律相談の場合、ある意味では非常に難しいところです。この人は何のために相談に来たんだろうかということを理解することは意外に難しいです。そこを間違ってしまうと、30分あっても、40分過ぎても、1時間近くになっても話がまとまっていかない。お互いに理解し得ない部分が広がっていくということになりかねません。ですから、実現目標が何であるのかということは明確にしなければならない。
 そこで、先ほどの話にもう一回戻りますが、多くの弁護士は実現目標を一番最初に聞き出そうとしてしまうんです。何を聞きたいんですか、何を知りたいんですか、あなたの知りたいことは私が教えてあげましょう、私が答えるに必要な限度であなたの問題状況を語ってください、いや、あなたが今しゃべったことは関係ないですからその部分は言わなくてもいいです、私の方から質問しましょう、その方が早いですね、となってしまいがちです。何についての問題なのかということさえ分かればいいと。
 
離婚相談のケースでは
 
 例えば離婚問題で相談したいんですと言われれば、いつ結婚したんですか、子どもさんは何人いますか、何歳ですか、男ですか、女ですか、今は同居してるんですか、もう別居したんですか、別居したとすればいつですか、今どこに住んでるんですか、今の生活費はどうしているんですか、収入はこれからどうするんですか、離婚する意思は固まってるんですかと、そうやってずっと要件事実的な、判断するのに必要な部分を次々と訊いていけば、法律事項の判断はできます。だけども、その場合にどうなんでしょうか。離婚の相談かもしれないけれども、その人は離婚するつもりで相談に来ているのか、決断をしかねているのか、あるいは離婚状態、破綻状態にあるけれども、離婚はしたくないと思って来ているのか、どっちなのかというのはそう簡単には決めつけられないですね。
 それを最初から離婚の相談だと早合点して要件をずっと並べてしまうと、その相談者の方がいろいろ悩みながら意を決して弁護士の前に来たということの真意といいますか、本当の悩みの状態というものを理解することにはつながっていかないんじゃないんだろうか。その結果として、弁護士として最終的に提供してあげなければならない実現目標に対するアドバイスというものが適切に構成できない。そして、相談者は、何かちぐはぐな、自分が求めたものとどこでずれていったのか分からないけれども、最初からずれていたような気がする、私の悩みというのはほとんど分かってもらえなかったんじゃないのかな、という疑問と不満を持ちながら、30分を終えて帰らざるを得ないということになります。
 
自分でチェックする
 
 実際の相談でそういうものが意外と多いんです。ある弁護士会でも、受付の事務局の方が運営委員の人に、ある先生が今日は4人の相談を担当したんですけれども、そのうちの3人が泣きながら帰っていったんですよ、と言うわけです。そういうものが事実としてあるというんです。それはその担当弁護士の個人的な問題かもしれませんが、同じような問題状況というのは、多少の差はあっても多くの弁護士に、もしかすると我こそはと自信を持っている20年、30年、40年とやっているベテランの弁護士にもあるのかもしれません。
 どういう人にどんな問題があるのかということはもちろん分かりませんが、皆さん方にお話ししたいのは、自分自身をチェックする一つの視点として、自分の方向からだけ見たんではチェックにならないということです。商売で言えば、相談者はいわば相談料を払ってきてくださっているお客様なわけですから、お客様が満足してくださるということが相談事業の実現目標です。弁護士会が行なう相談事業の一つの実現目標だろうと思います。それが実現されない状況がいくつも出てくると、弁護士会自体に、それから弁護士そのものに対する信頼が傷つくといいますか、不信感が増大するといいますか、そういう全体的な問題につながっていく可能性があります。
 
多重債務相談のケースでは
 
 それから、例えば多重債務者の相談の場面を具体的に思い浮かべて、どんな注意があり得るのかということを考えてみますと、多重債務者というのは、相談数がたくさんあるだけに類型化されやすい問題場面です。類型化するということは、弁護士の頭の中が類型化されてしまっているということなんです。その類型は何かといったら、方針としては弁済する方向でやるのか、弁済できないという状況を前提として払わなくても済む方向に持っていくのか、という2つの方向性があります。その方針を実現するために、例えば払わないためには破産、あるいは少しでも払おうという場合には民事再生、それから保証人もいることだし、全部払おうという場合には親族などから資金の援助を受けて任意整理をする。そういう大きく分けて3つのパターンです。調停もありますけれども。
 そういう類型をまずつくっておいて、あなたの場合は・・、というふうに要件を次々と当てはめていけば、あなたは破産しかありませんねとなったり、あなたは資金があるんだから破産はしたくないという気持ちもあるし、お父さんも援助をしてくださるというんだから500万円準備してもらえれば任意整理ですべて清算しましょうと、そういう要件ごとに枝分かれてしていって、最後にたどり着くものはどれなのかということで、比較的分かりやすいといいますか、お互いに納得しやすいもののように思われがちです。
 
債務負担の原因をさぐる
 
 しかし、今話したような場面は、すべて法律の観点からのものの見方です。つまり、債務額の500万円も600万円も、1か月の収入が20万円しかない人が借金をしてしまったのはなぜなのか、どこに原因があったのか、そしてそのお金を何に使ったのか、職業とか家族についてどんな管理をその人がしているのか、どんな姿勢で人生を生きているのか、その問題状況をつくってしまった人の心の問題、そのほかの家族を含む人間関係の問題状況が分からないと、その方自身の人生の再構築、そして不幸な状態から転換して新たな幸せな状態に、自分の人生をつくりかえていこうとすることは、法律を当てはめただけで本当にできるんだろうかということです。
 例えば破産があなたにとっては最良の選択肢だという場合に、弁護士に20万円とか30万円の報酬を支払えば、五、六百万円の借金が全部ゼロになってしまうし、免責も受けられる。それで法的には解決したのかもしれませんが、果たしてその人の人生において解決したんでしょうか。これはすごく疑問があります。もしかすると、世の中は甘いもんだなと、こんなに借金しまくって適当なことをやっておきながら――そのときはそのお金を使って何らかのいい思いをしたわけですからね――最後にどこかに泣きついて30万円払えば、いわば全部チャラになる、こんないろいろな法律があるんだな、これから法律をうまく使っていこうという気持ちになる人がいないでしょうか。
 
債務者更生の意味
 
 弁護士の対応の仕方いかんによって、本人がそんなことを思ってしまうと、その人の人生が再生できない、本来のあり方に更生できていかない、という場面を弁護士がつくりあげて、それを助けてしまうという問題になりはしないか。だとすると、確かに法的には免責の不許可事由もないから、あなたの場合は弁護士報酬さえ払えば破産と免責が受けられますよと、数か月間我慢すればゼロからスタートできるんですよと、それだけでいいんだろうかという問題です。
 仮に最終的にその法的清算手続きをとってその結果になったとしても、その人の歩んできた人生の中でお金の管理がどうであったのか、どこに問題があったのかを分かってもらうこと、自分が分かることが大切なのではないでしょうか。そうすれば、法律を適用してゼロにしてもらったけれども、こんなことはいろいろな関係者の損失のもとに成り立っているのであって、二度とそんなことがあってはならないという気持ちになります。そうなってもらうことで、初めて本当の意味でその相談者のためになるとともに、それがひいては破産法とか民事再生法という多重債務者がもう一回やり直すためにつくられた法律の制度趣旨にも合致することになるんじゃないでしょうか。ですから、ただ法律の要件を当てはめてその人をこれで救済したんだというようなことだけで、本当の解決になったと思っていないか、自分自身で問うこともまた大切だろうと思うのです。
 
交通事故相談の場合では
 
 それから、最近、私自身も経験した交通事故の相談で、親族が亡くなって損害賠償の請求をするんだという例がございます。今、交通事故については保険が第一次的に適用されて、弁護士が訴訟まで受任して手続きを進めるという例が大変少なくなっておりますけれども、やはり弁護士の相談としては日常的にある分野です。
 交通事故の相談というのは、被害者から相談された場合は、民事的に考えれば損害賠償の金銭的請求です。保険に入ってるから、加害者から相談されるというのはほとんどなくなってしまいました。保険会社の顧問弁護士が加害者側の代理人になりますのでね。ですから、被害者側で相談を受けた場合を想定しますと、法律問題として考えれば損害賠償です。配偶者の方が亡くなったとすれば、何歳だったんですか、職業は何ですか、収入は幾らあったんですか、その証明書はありますか、家族は何人ですか、と全部要件を当てはめていけば、ざっと計算してこれだったら5,500万円請求できますよということで提案する。それが最後には必要なんでしょうけれども、最初からそれでいいんだろうかということです。
 
二次被害の例
 
 いわゆる二次被害という言葉があります。二次被害というのは、交通事故に限りませんが、何らかの犯罪その他によって被害を受けた方が、その被害回復のために例えば弁護士に相談した結果、もっとひどい精神的なダメージを受けてしまうということです。つまり、被害者の立場を考えれば、つい先日まで一緒に暮らしていた自分の身内の方が突如として事故によって亡くなられたわけです。そういう立場の方に対して、あなたは交通事故の相談ですねということで決めつけてしまって、あなたの実現目標は損害賠償請求ですね、法律的に私たちがやれるのはそれしかありませんから、ということでさっと電卓をたたいて、賠償金は○○円ですよ、と言うのはいかがなのだろうかということです。これは弁護士の余りにも配慮がなさ過ぎる例として、新聞などでも引き合いに出されることがよくあります。
 その場合には、やはり親族を亡くされた方の気持ちをまずよく聞き取る、受け止めるということです。どんな気持ちになっているのか。例えば自分と子どもたちがダメージを受けただけじゃなくて、亡くなった人の親とか兄弟とかいろいろな人がみんな嘆き悲しんでいるんだということをお話しされるでしょう。しかし、黙って聞いて、そうですね、大変ですね、みんな嘆き悲しんでらっしゃるでしょうねと聞き入れればいいものを、弁護士の立場から、残念ながら兄弟の方には損害賠償請求権は認められませんねと言ってしまう。何も賠償金を最初から目的にして弁護士のところに来たわけじゃなくて、自分のこういう窮状を専門的な弁護士にまず聞いてもらいたい、そして聞き入れてもらった上でその後の対策は自分が納得できるようにじっくり考えていきたい、これが一般的な相談者の心理ではないんでしょうか。我々の法律の要件という網をちょっと脇に置いて、それにかかろうがかかるまいが、相談者が今困っていることを何でもお聞きしましょうという姿勢が、まず必要とされるということであります。
 
センター相談での工夫
 
 それで、法律事務所での相談は、例えば1時間でも2時間でも十分時間を使おうと思えば使えますけれども、センターの場合には全国で一番多い相談時間の設定は30分です。札幌弁護士会では、今度離婚相談を別枠でつくるんだそうです。やはり離婚というのは何十年来の、あるいは人間関係も1対1じゃなくて問題が複雑に広がる場合が多いですので、原則40分でやると。相談料は5,000円のままということで、離婚相談センターというものを別にやるんだと言っておられました。それから、多重債務者についても、単なる相談センターじゃなくて「多重債務解決センター」ということで、相談だけじゃなくて解決までお引き受けしていくんだという強い意志があらわれた名称にして、これもまた別に常設にしていくんだと言われておりました。
 それはそれとしましても、離婚でも悩みをよく聞いて、交通事故の場合でも身内が事故に遭った人の嘆き、悲しみというものを率直に聞いて、多重債務の場合でもなぜそうなったのかということを法律要件には関係ない部分であってもよく聞くというところから、結果的にその人の人生そのものに我々が援助をしていける人間関係の条件や効果というものが得られるのではないかと思います。
 
30分の使い方
 
 そこで、30分をどのように生かしていくのかということが一つの課題です。特にこれから相談センターで担当していこうという新人弁護士の方は、依頼者・相談者の方も30分という時間の制約は大変かもしれないけれども、新人の弁護士にとっては、30分で全部聞いて結論まで出して満足して帰っていただくのは至難のわざです。皆さんもすごく不安でしょう。私も含めて先輩の弁護士も、みんなそういう不安の中でそれを経験して、今日は足りなかったなとか、あるいは言い過ぎたなと、それを毎日反省材料にして一人前になっていくんだということが、今までの経験上言えると思います。
 しかし、相談センターに来た人にとっては、57期の人に当たるのと30期の人に相談するのとで料金は同じなんです。5,000円払って57期の人は1時間やってくれるんですかというと、そうではないわけでしょう。そうすると、何としてでも自分自身がベテランの弁護士に引けをとらないくらいの、30分間のサービス提供というものをしなければならない、ということです。どうすればいいのかということをお教えしましょう。
 今までお話ししたところを整理していただくと分かるんですが、まず注意すべき点は、先輩の弁護士が悪い例としてやっているかもしれないように、実現目標というものを30分の前半で聞くということをしないということです。あなたは今日何を聞きたいんですかということを最初に聞いてはいけないということですね。最初の15分は、逆にこちら側が受け身で聞いて聞いて傾聴をする。聞き入れて受容する。なるほどと言って、困った状況に共感するんです。このカウンセリング的な姿勢を最初の15分間ないし場合によっては20分間費やすんです。大抵の経験豊かな弁護士は、何をばかなことを言ってるんだと言われます。そんなことをしていたら30分で終わるわけないじゃないのと、疑問を持って批判的に言われます。しかし、これが終わるんです。
 
きく 聞く 聴く 訊く
 
 モデル的に言えば、15分間は聞いて聞いて聞きまくる。つまり、相談者が全部しゃべるんです。大抵の人は15分あれば全部しゃべり終えます。そこまでの15分でこちらからの個別具体的な問いかけをして、その問題を自分の網に入るように持っていってはいけない。大抵の人はネットに入るように入るようにと誘導して持っていっちゃうんです。それをしないことです。しないでひたすら聞くんです。相づちを打ちながら、そうですね、それはお困りでしょう、もっとお話ししたいことがあるでしょう、遠慮しないで言ってください、と言って、弁護士側から交通整理や誘導をしないで、15分間は何でもしゃべってもらう。
 そして次に、およそ分かりました、お困りですね、それじゃやはりここに来るのも大変な決断だったでしょうねということで、ここに来てくださるまで迷いに迷ったことに対して共感的な理解を示して、今までのお話をお聞きするといろいろなことが課題としてありますと――最後には結論づけなければなりませんから――そこから先は少し整理をしていって、法的に解決できる部分とそうでない部分がある、ということを分かってもらうようなことをしなければならない。それも分かってもらうために、自分の方から法律論を説明し出してはいけない。そこが自然と相手に分かるようにし向ける。
 そのために今度はこちらから質問をするんです。前半はずっと聞きっ放しですよね。多少の質問はするにしても、こちらからの具体的な質問はしないんです。次の公判の15分間に入ったならば、こちらから質問をすることによって相談者が答えます。その答えることによって、相談者は、ああなるほど、こういう視点も大切だったんだな、私は今しゃべらなかったけれども、こんな事実も確かにあったなということにそこで気づくわけです。そして、弁護士の側からしても、相談者がしゃべっていなかったことを質問することによって、自分が最後に判断をするに必要な要件事実的なことは全部そこで取りそろえるようにする。これは5分か、どんなに長くても10分あればできます。
 
選択肢を提供する
 
 そうすると、そこまでやるとあと5分か10分ぐらい残るんです。どんなに短くても5分は残りますね。そこで、今まで整理した事実の中で何ができるのか、実現しようとするための選択肢として何が出てくるのかを、3つ提供します。あなたの場合はこれをすべきですと、決めつけてはいけません。つまり、決めるのは本人なんです。決めるといっても、0か1かを決めるんじゃなくて、0、1、2、3と選択肢を3つ提供します。3つとも採らないかもしれないので、0も一応入れておきますが、1、2、3と選択肢を提供するんです。
 例えば、確かにあなたのお話をお聞きすると、あなたは相手に対して損害賠償を請求することができるでしょう、それも手続きをしていけば裁判所から認められると思いますよ、と。だけども、そこから先、そこで終わるんじゃなくて3つの選択肢を与える。この3つの選択肢を与えられるかどうか、それが適切かどうかが、その弁護士が一人前かどうかを推しはかる基準になります。私はそう思っています。3つ思いつかなくて、あなたにはこれしかないと言うのはだめです。これしかないなんてことは、どこかの野球の選手くらいしか言わないのであって、人生には必ず選択肢があるんです。その選択肢の中から、その人の人生観に従って選んでもらえばいいんです。その3つの選択肢を説明する中で、それぞれのメリットとデメリット、それから何らかの時間的、金銭的、労力その他の負担というものもあわせて説明しながら、3つの選択肢を提供する、これが最後の終わり方です。
 
決めるのは本人
 
 そして、その中から私はこれを選ぶと決めてもいいけれども、別に決めなくてもいいんです。人生の重大な場面なんでしょう。だから、3つ持ち帰ってもらえばいいんです。多くの人たちの、特に修習生などの、今まさに弁護士になろうとしている人たちの模擬相談を見てると、法律相談だから、次々と質問されたことに対して、法律の答えを答えなければならないんだという強迫観念にとらわれているような人が多いんです。決してそうではないです。決めるのは本人です。だから、相談の場面では、決められるような選択肢を提供すればいいんです。受任したわけじゃないんですからね。本人がじっくりと考えて、自分だけじゃなくて自分の家族とか、ほかの親しい知り合いなどと相談することも必要かもしれません。そういう場面を与えて、もしまた相談に来られたい、あるいは頼みに来られたいというのであればどうすればいいのかという手続きをお教えすればよろしいんだろうと思います。
 これが一つの30分の使い方としてのおおよそのモデルです。
 
相談者の人生と弁護士の修練
 
 時間も迫っておりますので、そして今日お集まりの方の大部分が57期の方だとお聞きしたこともありますので、最後に一つだけお話しします。
 対面する弁護士と相談者の2人だけの場面で、ほかの人には誰も聞かれない状況の中で、相談者の人生の大変大事な部分を私にだけお話しされている、これが相談の場面です。ほかに誰にも相談してないわけでしょう。こんなことは恥ずかしくてだれにも言えないわけでしょう。知られたくないですよね。それを私にだけお話しされている。
 だとしたら、私も相談者の人生をそのまま受け入れて、そしてあなたの悩みを理解しましょうと。それによってその人の人生を間接的に自分が経験できる。自分自身の人生の一つの教訓として勉強になるということです。勉強という言葉はちょっと薄っぺらですが、自分の人生に受け入れられるということです。つまり、共感というのは、そういう意味合いも含めた言葉だろうと思うんです。特に20代で弁護士になって、大した経験も人格も備わってないにもかかわらず、人から先生と言われて、だれからも批判されないというような立場になってしまっては本当はいけないんです。しかし、実際の社会のシステムの中ではそうなってしまっている。私自身の経験からしてもそうなんです。
 だとすれば、自分自身でそれを変えていく必要があるんじゃないだろうか。自分は人から先生と言われて、おれは何でもできるんだとか、分かってるんだという立場では決してない、まったくの未熟者なんだと。逆に、今多くの相談に来られている人よりも、もっともっと人生経験がない。来られている相談者が、自分の人生の一部分ではあるけれども、重要な部分を全部私に提供して相談をしてくださっている。だったら、それを受け入れて、自分のものとして共感して、自分の人生に取り入れて自分自身が大きくなろうじゃないか、成長しようではないか、というつもりで相談に応対してもらいたい。
 それだけの重みのあるものとして、そして同時に自分の人生にとって重みのある、単なる職業とか知識経験とか法律のシステムを提供するんじゃなくて、自分自身の人生に置きかえてほしいなと思います。そういうことを謙虚に続けることによって、多くの人から信頼され、あの人は何でも聞き入れてくれて相談しやすいよ、ほかの人にも紹介してあげようという方が次々と出てくるはずであります。そういう方向性を、是非今日の一コマで少しなりとも、あるいは幾つかの言葉だけでもお持ち帰りいただいて、日常の相談その他の業務の中で、人生の中でお役立ていただければ大変ありがたいと思います。
 最後までご清聴いただきありがとうございました。一応これで終わらせていただきます。


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