長岡壽一講演録(高校生と職業)


寒河江高等学校 第1学年 職業講話
    何のために生きるのか
     ---仕事を通して考える---

2004(平成16)年11月17日(水)
山形県立寒河江高等学校
講師 弁護士 長 岡 壽 一
          Nagaoka,Toshikazu


 1 はじめに


 ただいまご紹介いただいた長岡壽一です。今は山形市内に住んでおりまして、七日町に「長岡法律事務所」をおいて、弁護士の活動をしております。弁護士の経歴としては、27年間やっております。年齢的に言いますと、54歳ですから、皆さん方のご両親と同じくらいか、あるいは少し上かというところです。
 ところで皆さん、弁護士という人と、テレビは別にしまして、直接会ったことがある、そういう経験を持っている人、ちょっと手を挙げてみてください----いませんか。弁護士を見たのは今日が初めてだっていう人は、どうぞ手を挙げてください----はい、大部分でしょうか。中学、高校生であれば、普通は弁護士と会う機会はないと思います。今日はですね、先生方がこの職業講話を企画してくださった理由は、皆さんが将来職業に就くにつけても、これからの進路、大学の選択、職業の選択、そういうものをする際に、何らかの参考になればありがたいと、いうことです。
 お手元にお渡ししたレジメのようなものがありますね。最初に弁護士というのがどういうものなのかをご説明したいと思います。その後で、私の経歴を、私自身の歩んできた経歴というものを、寒河江高校の3年間も含めまして、少しお話をさせていただきたい。そして、それを踏まえて、では皆さん方、これからね、どのような生きる観点、職業観、人生観というものをお持ちになったらよろしいんだろうか、ということを考えるひとつの素材をご提供したい、と思っています。


 2 弁護士という仕事


 まず、弁護士というのはどういう仕事か、説明します。困っている人、自分だけでは解決できない困り事----困り事って言ってもたくさんありますが、主に人間と人間の関係で困っている人、その人たちが自分一人では、自分の力では、あるいは自分の知識、智恵ではその問題を解決できないことがあります。そのような場合に、1つの解決の基準というか、標準となるのに、法律という規範があるわけです。
 その法律に従って問題を解決しようと考えた場合でも、法律もよくわからないよ、という方が多いわけですね。そこで、弁護士という法律の専門家が必要になってくるわけです。その専門職業人としての弁護士が相談者、依頼者からよく話を聴いて、どんな困り事があるのか、誰との関係で悩みがあるのか、その背景とか実情をよくお伺いするわけです。
 そして、その問題解決のためには、どんな手立て・方法があるのかということも、検討していくわけです。例えば皆さん、最近はですね、弁護士が主人公になるようなテレビのドラマ、あるいは弁護士が問題をどんなふうに解決するのかを扱った、法律相談を題材にした番組がいくつもあります。そして、そういうのをご覧になるとですね、こういう人たちが弁護士として仕事をしているのか、裁判所っていうのは、こんなふうになってんのか、という興味をもってご覧になっている部分もおありかと思います。
 弁護士は、裁判という手続きを通して、そこで紛争当事者、たとえばAさんとBさんの争いについて、自分たち2人だけでは解決できない場合、裁判官から判断をしてもらおうと思うわけです。その際の判断基準が、力とか声の大きい方が有利になるとかでなくて、法律という公平な基準を適用して解決しましょう、ということです。そして、手続きも、公正に、正義にのっとって、解決をしていきましょう、ということが法律の役割であります。
 そのような、法律の考え方と中身も判って、そして手続きも判って、お役に立ちましょう、というのが弁護士である、とご理解いただければよろしいと思います。
 ただ、法律そのものについては、お話をしてもですね、これは大変、法律自体が難しいものですから、今日は行ないませんけれども、法律という規範に基づいて、それを基準にして、人間と人間との問題を、紛争を解決していく、それが弁護士の役割なんだということであります。


 3 法曹三者


 (1) 司法試験制度


 法律の実務に携わる職業には、法曹三者というのがございます。
 三者というのはですね、弁護士のほかに、裁判官、そして検察官、この3つの職業を法曹と言っております。
 この法曹になるためには、どのような道筋が必要かというと、現在の制度では、司法試験に合格すること。司法試験は、もちろん法律の試験ですね。そして、現在の試験はですね、科目で言いますと、憲法、民法、刑法、商法、それから民事訴訟法と刑事訴訟法。これをですね、今6つ挙げましたが、一般的に、代表的な法律ということでですね、六法と言っております。6つの法律ということですね。この6つの科目がですね、司法試験の科目であります。そして、それぞれ勉強をして、どれか得意な分だけとっていい、ということではなくてですね、全部満遍なく、ある程度の水準以上になっていく必要があるわけですね。
 今年(2004年)の司法試験の合格者がつい先日、11月10日に最終の合格発表がありました。その結果をこのレジメに書きました。その試験は5月(短答式試験)から始まって、そこで合格した人が7月の論文式試験を受けて、さらに7月の試験で合格した人が10月の口述試験を受けると。こういう、3段階の試験をですね、それぞれ通っていかなければならない。
 今年は最初に受けた人数が43,000人余りですね。そして、最終の合格者が1,483人。そうしますと、受験者の数を分母として、合格率を計算しますと、3.4パーセントということになります。これが今年の司法試験の合格率ですね。
 最近この合格率が上がっております。というのは、受験者が増えているんですけれども、それ以上に合格者の数を増やしているからです。私は、昭和50年、今から30年近く前に合格したんですが、その時は合格者が480人ほどでした。そして、合格率は1.6パーセント、60人に1人合格する、60倍という倍率ですね。そのころは、500人くらいの合格者だったですけれども、平成になって1990年代から、もっと法律家の、そのなかでも端的に言えば弁護士の数を増やしていかなければならないという政策転換がなされました(司法改革)。
 それはなぜかというと、人間と人間の関係の紛争というものが多くなるだろう、そしてまた、その場合に、力で相手をねじふせるのではなくて、公平な、公正な手続きによって、皆が納得するような基準を当てはめていかなければならない。それが法律なんだということを、日本の国の基本的な考え方として取り入れていこう、そうであるならば、弁護士の数をもっともっと増やさなければならない、こう考えたわけですね。


 (2) 法曹の職に就くまで


 現在、日本国中で弁護士の数は、2万人くらいです。これをですね、5万人、6万人と増やしていこうとしております。そのために、これから数年間どんどん合格者を増やしていってですね、数年後の2010年には、3,000人まで、司法試験の合格者を増やそうということであります。
 ですから、今から十数年前までは、合格者500人だったわけですから、それが3,000人という合格者数になれば、それに応じて、それを目指す人たちも増えてくるし、その職業になれる可能性もですね、高くなるわけです。これから目指すべき職業の1つとして、皆さんにも考えてほしいと、思います。
 そして、その司法試験を合格しますと、引き続いて、司法研修所という最高裁判所が設置している研修所に入りまして、そして、全国各地でですね、実務、つまり、弁護士や裁判官や検察官の実務を見習いのような形で教わりながら、1年6か月の研修を経て、そして、弁護士になりたい人は、弁護士になる。それから検察官や裁判官になりたい人は、両方とも公務員ですのでね、検察官は法務省、裁判官は最高裁判所の職員といいますか、そこから雇われるということになるわけですね。そのような、進路をたどって、法曹三者が別れていく。だから、司法試験に合格する時と、司法研修所で1年6か月勉強をさらに続ける時までは、ずっと同じコースを進むわけなんですね。それを終えたところで初めて、法曹三者が別れて、3つのそれぞれの職業に就いていく、ということです。


 (3) ロースクール


 なお、皆さんお聞きになったことがあるかと思いますが、今年(2004年)の4月からロースクールと言われるシステムができました。正式には法科大学院と言います。大学を卒業した後ですね、その法科大学院に入って、その後に改めて司法試験を受ける。そして、その司法試験に合格した人が弁護士や、裁判官、検察官などになっていく、こういうシステムが新たにできました。
 今はその1年生だけで、まだロースクールを出た人は誰もいませんので、2年間あるいは3年間の期間、そこで勉強してから卒業します。最初の第1学年が、全国のロースクールで勉強している、という状況ですね。
 そして、このロースクールを出て、新しく創られる司法試験に合格していくというコースがですね、これから2、3年後には現実に、そういうコースで弁護士になる人がでてくる。こちらが主流になり、従来の司法試験はほとんどなくなる見込みです。つまり、今制度がシステムが大きく変わろうとしているんだということです。それだけに、皆さん方が大学に行く、さらに具体的に職業を考える場合に、そのような道筋があるんだ、ということを頭に入れておくとよいでしょう。


 4 長岡弁護士の経歴


 (1) 寒河江高等学校での3年間


 それでは、次にですね、私自身の経歴についてお話します。レジメの2ページに書いておきましたが、今までお話したのは、弁護士ということについての一般的なことですね。今度私自身のことをですね、話します。今まで私は、自分の経歴などをほとんど話したことがないんだけれども、皆さんが私の寒河江高校の後輩ですので、この母校において、身近な親しい関係者だというつもりでお話をしたいと思います。
 昭和25(1950)年にですね、今の西村山郡朝日町、その中でも、山の中、そういう所で育ちました。それで、地元の西五百川(にしいもがわ)小、中学校を出まして、寒河江高校に入りました。寒河江高校に入っても、自宅から寒河江までは通えないんですね。今は道路がアスファルトに舗装されていますけども、当時はまだ、半分くらいは砂利道でした。舗装されていなかったんですね。私がこの寒高に通っていた3年間。それで、(朝日町の)宮宿という所、知っていると思いますが、私の家はそこからさらに3キロくらい最上川を渡って、さかのぼっていった所なんですね。本当に、山の奥。そうすると、毎日寒河江まで通うことは、現実的に不可能。それで、3年間寒河江市内に下宿をしていたんです。親元を離れて下宿をしておりました。まだ15歳ですかね、みなさんと同じくらいの歳に、1人で下宿をしてですね、高校に3年間通った。
 それでは、さっき聞いたように1.6パーセントなんて司法試験に合格するわけだから、さぞかし高校の成績が良かったんだろう、と思うでしょう。ところがですね、寒河江高校の時の成績は、そんなに、皆さんが推測するほど良くありません。期末テストとかやりますと、300人くらいいた中で、100番には入っていましたけれども、4、50番でした。これは嘘ではなくて、本当です。
 3科目の模擬試験などでは、英語と数学と国語で3科目の模擬試験で成績をだすと、大体10番くらいだったんですね。なぜかというと、英語と国語がですね、点数がいい。しかし、数学はだめですね。数学は赤点(落第点)を取って、数学の先生からね、「長岡、お前卒業しなくていいのか」などと言われて、追試験を受けさせられたんです。その程度だったんです。
 だから、皆さん方と大して変わりありませんよ、ということなんですね。それから、私が寒河江に来てですね、寒河江に3年間住んで、びっくりしましたね。風景が違うんです。山が見えるんです。当たり前だと思うでしょ。私の実家では、山は見えないんです。山の中にあるから、山の姿は見られないんです。それくらい、田舎から出てきてこういう環境において、月山とか、きれいな山を見て感激した記憶があります。


 (2) 弁護士になるための情報


 高校を卒業して、明治大学に入ったんですが、卒業する前にですね、進路を決めますから、どういう大学に行ったり、どの学部を選ぶか。私は、高校2年生の時、弁護士になろうと決意をしました。それまではあまり、1年生の時とかですね、将来の職業のことなどは考えなかった、考えないというよりも、15歳ですからね、1人ぽつんと見ず知らずの所に来て、毎日毎日が大変でした。そして、2年生の時に、将来は弁護士になろうと思いまして、当時は大学も法学部のある大学を受けなければならない。じゃあ、どの大学を選ぶかということにつきまして、「受験新報」という司法試験の受験者向けに発行されている月刊誌がありますが、それを本屋で見つけて、2、3冊買いました。
 そうすると、その中にはですね、今年の司法試験の合格者は何人で、どこの大学からそれぞれ何人ずつ合格してるんだ、というような大学の実績とランクが書いてあるわけですね。それで、その大学がですね、どういうものでどんな所なのか、私は行ったこともないわけだし、情報が今みたいにインターネットとかないし、ほとんど何の情報もないわけですから、合格者の多い方から順番に受けていったんです。
 当時一番合格者の多いのは東京大学と中央大学でしたね。


 (3) 大学受験


 ところが、私が受験をした昭和44年というのは、なんと東京大学の入試がなかったんです。そんなことあるの、とけげんに思われるでしょうけど、いわゆる大学闘争(大学紛争)っていうのがありましてね、その年の1月17日と18日に東京大学の安田講堂で、学生がそこに立てこもって、火炎ビンを投げたりしていた。警察の機動隊が、その学生たちを大学から、東京大学の構内から排除するということで、いわば戦闘状態になったのです。
 それで、こんなカオスの状態では、入学試験を行なえないということで、その年は、東京大学の入試がなかったんです。同じように、東京教育大学、今でいうと筑波大学の入試も一部できなかったんです。それはそれとしても、先ほどの成績からも分かるように、とても東京大学を受けても、受かるはずがありません。
 それで、国語と英語の成績は何とかとれましたので、私立の大学を、司法試験合格者数の上から順番に見てみますと、中央大学、早稲田大学、明治大学、慶応大学、法政大学、これくらいがですね、東京の私立大学の中では、上からベスト5だったんです。それで、どの大学を受けるかという判断は、上から順に選んでいってですね、この5つを受けたんですよ。そうしたらですね、結果は5つ受けて、1勝4敗。つまり、めでたく明治大学に合格した。その他の4つは、全部落ちました。学業成績は、大したことなかったんです。


 (4) 明治大学での出会い


 それで、1969年4月に明治大学に入って、1年生からプロゼミというのがありました。法律なんてまったくわからないわけで、司法試験受けよう、弁護士になろうっていう気持ちだけ先行して、どんな法律があるのかも分からないわけで、どのゼミを選んだらいいかなって思ってですね、憲法を選んだんですね。憲法っていうのは、今もそうですけど、小学生から中学、高校とそれなりに親しんで勉強してますのでね、憲法のゼミを選んだんです。そのゼミの担当の先生が和田英夫教授で、法学部の学部長をされていたと思います。ゼミというのは、2、30人くらいなんですけれども、少人数でやるわけですが、皆さんのクラスの半分くらいの人数でやるんです。
 1回目の授業が終わったときに、和田先生が、「長岡君」って私を呼ぶんですね。何で、私だけ呼ばれるんだろうと疑問に思って、お聞きしましたら、何とですね、和田英夫先生はこの寒河江高校の先輩だったんです。昔は旧制中学っていうんですがね。高校ではなく中学、そして中学の後に高校、大学となっていたのですが、今の高校と旧制中学っていうのは、年齢的にも、ほぼ同じ年代です。そこの先輩で河北町西里出身なんですね。
 そんな事情は全然知らずに、憲法がいいからそのゼミを取ったわけですね。これまた偶然なんですね。それで、その和田先生とのご縁は、そのような偶然が偶然に重なってですね、お会いしまして、そして、司法試験を受けて弁護士になりたいんだ、という話をしたところ、その方法についても、情報とか指導とかをしてくださって、お家に何度かおじゃましたりもしました。そして、この寒河江高校にもですね、2回、和田先生と一緒に来ました。和田先生が、何周年だったですかね、創立記念日の講師をお引受けされて、その時に随行して来たことがあります。それくらいですね、和田英夫先生からはお世話になって、ご指導いただいた。そのおかげをもって、自ら勉強もしましたけれども、司法試験に受かることができた。


 (5) 司法試験合格に向けて


 しかし、大学を卒業してですね、卒業した年、それから次の年、この2回はですね、司法試験の中の5月の試験、これを短答式試験といって、知識を試す、記憶力を試す試験なんですが、これが受からないんですね。5月の試験で落とされると、7月の論文を書く論文式試験、という文章を書く試験を受けることができない。それが2年続きました。
 1年に1回しか、試験が行なわれませんので、それに備えてですね、受験生は答案練習会に通います。今でいう予備校ですね。そういうグループを作って勉強していたわけですから、そこで、答案を採点して順位をつけられて、この答案練習会で10番以内に入っていれば、まず論文筆記試験に合格する実力があるだろうと、1つの基準がわかるわけですね。それを毎年、皆が受けてるわけです。その中で、私は、大学を卒業した年も、翌年も、受かるぞという自信と期待を持って、本番の試験に臨みました。
 しかし、最初の5月の試験で、点数が足りないということで、次の段階にいけないということが続いたんです。これは、なぜなのだろうかと悩みました。実力があると自負しているにも関わらず、それを論文試験を受けさせてもらえない。司法試験と相性がわるいのだろうか、これは私の運命なんだろうか、などと弱気になって考え込んでしまうわけです。本当に悩みました。
 だけども、そんなことを考えたって仕方ないし、それから試験というのは、そのいいところは、正にその公正な手続きで、いわゆる情実、コネというのが入らない。誰でも、平等に評価される。点数が数字になって表われてくる。その結果、合否が決まる、ということですね。ですから、私のような、田舎からですね、試験を受けにきて、試験に合格すれば、それなりの職業に携わることができる。それは、試験制度があるからですね。試験制度がなかったら、やはりコネの世界なんですね。どこで生まれたか、誰の子供か、誰と親戚関係にあるか、お金をどれだけもってるか、そういうものである程度人生の方向が決まってしまう、ということがあるんです。そのような制約がないからこそ、私はこの試験、司法試験というものにかけた、そして、気を取り直して学習を継続し、3年目に最終合格したわけです。


 (6) 前向きな姿勢


 このような、寒河江高校ということと、明治大学ということと、今自分が弁護士として長らくやってきている基盤をつくるについて、なくてはならない2つの学校だという思いが強くあります。この学校に対しては、大変ありがたいという感謝をしております。また、私がもし一人前の職業人になっているのであれば、その中でですね、今日皆さん方にお話しているようなことも含めて、その高校あるいは、大学に対して、ご恩返しをしていかなければならないなと、強い思いを持ち続けております。
 そして、このレジメにも書いてますように、同窓会活動ということで、寒河江高校同窓会の支部をつくって、20年近く事務局を担当しているのです。こういうことも、先輩から、長岡お前やってくれよ、というふうに言われれば、そこでやれないと言わない。可能な限りやらせてもらいます、と。すべて肯定的に、前向きに進んでいく、ということが基本的な姿勢です。その姿勢を持ち続けて努力できれば、大抵の目標は実現できる、と思っております。


 5 人生の目的と目標を実現する


 (1) こころざし


 そこで、お話の最後の場面になりますが、人生の目的というもの、それを具体的に定めて、その目標を実現するために、どのようなシステムがあるのかっていうことを考えてほしいと思います。ただ今は、私の人生の一端をお話しましたが、1つは、何かをですね、成し遂げたいと思う場合に、こころざし(志)というものが必要ですよね。何をしたいのか、何のためにするのかということですね。
 私について言いますと、先ほどから何回も言っていますように、田舎のですね、小中学校、山の中において育ちました。中学校から高校に入るのにですね、今では皆さん方は、何パーセントくらい高校に入るのですか。90何パーセント、100パーセント近くですよね。私の時はですね、5割足らずくらいしか、50パーセント足らずくらいしか、高校には入れなかったんです。別に頭が悪いから入れないのではなくて、入りたくないから入らないわけでもなくて、つまり、経済的に親がそれだけの、自分の子どもを高校に入れるだけの、経済的な基盤がなかったんです。つまり、現金収入がないわけなんですね。そうすると、高校のね、授業料とか、それから、いろいろな学習費用、通学のこととか、何倍もお金かかりますしね、義務教育の中学校まででより。
 いわば、時代的にも貧しかったのかもしれませんが、地域がそうだったとも言えます。その中で、高校で学ぶことのできる私は、2人分、高校に行けなかった人の分も含めて、2人分くらいは、勉強しなければならないんじゃないか。そして、自分が職業に就いて、まともな職業に就くことができたのなら、できる限りその人たちの分も、世のため人のために働くべきではないか、そういう使命というものがあるのではないのか、と思いました。そういう思いを日々、意識の中で持ちながら、生活していたということであります。


 (2) 目的・理念


 そして次にですね、何を目的とするか。目的というのは、例えば今日は、職業のお話ですから、職業っていうものは何なのかね、よく考えて分析してみます。すると、結論になりますが、人のためになること、なんですね。そして、人のためになることをやって、それに対する対価としてのお金をもらうこと、なんですね。
 いくら人のためになることをやっても、お金をもらわないのであれば、それはいわゆる無償のボランティアに過ぎないから、それは職業ではない。対価関係においてお金をもらうことが職業なんです。そのお金によって、自分の生活を成り立たせているのですね。自分だけでなくて、家族であったり、その他の共同の中でですね、生活を成り立たせているということであります。
 弁護士の職業の話をしましたが、みなさんは自分なりに、職業についての目的を持ってほしいと思います。そして、それを長く持ち続けることが大切です。その経過の中では、軌道を修正していくことも、追加していくこともあるでしょう。それでよいのです。基本的な考えを続けると、いつの日にか自分の人生の理念が見えてきます。それを意識の奥底にとどめておきましょう。


 (3) 目標の実現に向けて


 そのような将来や、職業のイメージを持った場合に、どうすればですね、その目標、目的というものを達成できるんだろうか、ということを考えていかなければなりません。その考えるということがですね、この私が書いたレジメでは、戦略という言葉で書かれております。その戦略というものは、頭で考えることなんですね。頭で考えるためには、その前提として、情報を得なければならない。私は、お話したように情報なんか何もなくてですね、受験雑誌に書いてあったとおりに、上から順にね、大学を受けていったわけです。それがたまたま1つ受かった。そして、そこで素晴らしい先生や先輩同僚後輩と巡りあった。すぎさった時代を省みると、おおくの偶然が重なっているように見えますけれども、それはいずれも自分の人生であることに相違ありません。
 いまやIT(インフョメーション・テクノロジー)の時代で、多くの方々が多くの情報を持っています。取ろうと思ったら、取れる時代になっております。それだけに、情報の大切さと選択の基準が、1世代前とは比較のしようがないくらいに大切になっていると思います。
 この情報の中でも、単なる知識だけといったら、毎日何時間でもパソコンに向かってですね、インターネットをやっていても、ほとんど飽きないくらいに、いくらでも次から次へと情報がでてきますね。だからそんなことで、人生終わったんじゃだめですよね。そうならないためには、次にやはり、情報の選択をして、それをいかにして自分の人生の中に、セットしていくのかということが大切だと思います。
 それで私が、「1 こころざし、2 目的・理念、3 実現目標(イメージ)、4 戦略(方策の検討と選択)、5 戦術(実行)」と、レジメで順番をつけました。ここで注意してもらいたいのはですね、1から2、3、4まではですね、外から見えない、つまり、あなた方の頭の中で、構想されるものなんですね。頭の中で考えることが非常に大きなウェイトを占めること、それが結果の成否に原因を与えること、を理解していただきたいのです。


 (4) 実行


 そして、最後の実行という、たとえば一所懸命に、一日何時間どの科目の分野を勉強しようとが、あるいはこの科目を自分は得意科目として中心にやっていこうとか、この大学に受かるために、この方面の特殊な受験勉強をしようとか、そういうことは体が動くという場面では、目に見えます。そこにいたるまでは、1から4まではですね、目に見えないということです。
 そして、この目に見えない部分が人生あるいは目的実現の全体のなかで7割の重要性を持つ、7割のウェイトを持つ。あとの3割が実際に体を動かす部分であるということですね。ですから、徹底的に自分の頭で考えることです。そして、自分が納得することです。そして、納得した内容に基づいて目標を立て、さらに手段方法を考え、選択しする。そして、あとは迷わずに懸命に自分の人生を、24時間を、1日1日をかけていくということです。
 つまり、一つの具体的事業では、目標をもつことから出発するんです。実現された状態の目標をできるだけ具体的にイメージできる人は、かならずや成功します。逆に、目標を具体的にイメージできない人は、絶対に成功しません。仮に何らかの成果が出たとしても、それは、たまたまそうなっただけです。だから自分で目標を達成したという達成感充実感はないわけでしょ。同じ場所にたどり着いたとしてもね。
 ですから、必ずみなさん頭の中で目標をイメージしてください。最初に、そして、その後に体を動かしてください。皆さん方の10年後を期待して、またお会いすることを楽しみにしながら、今日のお話を終わりにさせていただきたいと思います。熱心にご清聴くださいましたことに感謝します。




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(配布したレジメ)


             2004.11.17.  弁護士 長 岡 壽 一


   寒河江高等学校 第1学年 職業講話
      何のために生きるのか
       ---仕事を通して考える---
 
 
弁護士という職業
 
弁護士の仕事
  基本的人権の擁護、社会正義の実現
法律実務家
  法曹3者  弁護士、裁判官、検察官
司法試験
  43,367人受験  1,483人合格(合格率3.42%)---2004年度
司法研修所の実務研修(1年6か月)を経て
  弁護士会入会・弁護士登録


人生の目的と目標を実現する
 
1 こころざし

2 目的・理念

3 実現目標(イメージ)

4 戦略(方策の検討と選択)

5 戦術(実行)


専門職業人としての責任


長岡壽一の経歴
1950(昭和25)年11月  西村山郡西五百川村(現・朝日町)で生まれる。
1963(昭和38)年 3月  朝日町立西五百川小学校卒業
1966(昭和41)年 3月  朝日町立西五百川中学校卒業
1969(昭和44)年 3月  山形県立寒河江高等学校卒業
1973(昭和48)年 3月  明治大学法学部卒業
1975(昭和50)年10月  司法試験合格
1976(昭和51)年 4月  最高裁判所司法研修所に入る。第30期司法修習生
1978(昭和53)年 4月  司法修習を終える。弁護士登録
2001(平成13)年 8月  税理士登録


弁護士としての活動歴
1995(平成 7)年 3月  山形県弁護士会 会長
        4月  日本弁護士連合会 常務理事
1996(平成 8)年 4月  山形大学 人文学部 法学科・総合政策科学科 非常勤講師
             [倒産処理法、民事執行・保全法]
1998(平成10)年 6月  日弁連公設事務所・法律相談センター 委員長


同窓会活動
山形長陵会(寒河江高等学校同窓会支部) 事務局長
明治大学校友会 本部 代議員、 山形県支部 副幹事長
明治大学法曹会 幹事


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