長岡壽一講演録(男女共生と家族法) 2001(平成13)年5月19日(土) 山形市 教育会館 3階会議室 講師 弁護士 長 岡 壽 一 Nagaoka,Toshikazu 家 族 と 男 女 共 生 −−家族法を通じて両性の平等を考える−− 講演の要旨項目 第1部 両性の平等にかかわる憲法と法律 1 日本国憲法(1947-昭和22.5.3.)のなかの両性 2 女性に関する多くの法律(実現したい理念) 3 裁判において問題とされたおもな事例 4 現実社会における病理現象(実質的不平等) 第2部 家族法の概要と主体的現実的課題 1 家制度の廃止と両性の平等---戦後民法全面改正の基本原理 2 行為能力規定の改正 3 親族に関する全面改正(第4編)と現況・課題 4 相続に関する全面改正(第5編)と現況・課題 5 教育システムの重要性 【講演録−−−録音反訳を修文しました】 (この記録内容の文責と著作権は長岡にあります。) (司会:五十鈴川) それでは、大変ごくろうさまでございます。この勉強会も3回目になりまして、いよいよ内容も充実し、本日は、いろいろご都合のある中、皆さんに来て頂き、特に長岡先生をお迎えして話をして頂き誠にありがとうございます。これから私が先行させて頂きます。まず、長岡先生、みなさんご承知の著名な方ですが、あらためて佐藤慶子先生からご紹介いただきます。 (佐藤慶子) それでは、長岡先生の紹介を申し上げます。ご案内状が届いております方には合わせて略歴を添付しておりますが、長岡先生は山形県朝日町のご出身、今ちょうど働き盛りの50歳でおいでになられます。ご出身の大学は明治大学で、1976年の司法修習をお修めになりまして、78年から弁護士活動を開始しておいでになります。山形県弁護士会の会長を経験されており、1998年から日弁連の公設事務所・法律相談センター委員長をしておいでになります。これは、各地の僻地に弁護士の不在地域がありまして、それを解消するようにという運動を日弁連でいたしておりますが、その部局の委員長をしておられます。大変穏やかな人柄で、たくさんの法律問題を手掛けておりますが、そのご経験を生かしながら、家族と男女共生、家族法を通じて、両性の平等を考えるということでお話を頂戴することになりました。今日は会合がいくつも重なっておりまして、ご出席の方が少なくて申し訳ございませんが、先生ひとつよろしくお願いします。そして、先生の持ち時間を80分ないし90分と考えておりますので、その中で先生がお話を長くされても、また間に質問を入れていただいても、最後にみなさんにご意見をいただいて、先生のお話の進展ぶりによるということにさせていただきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。 (長岡) それではお話を始めさせていただきます。今日お持ちした紙に要点を書いておきました。今ご紹介いただきましたが、私は弁護士歴では24年になりますが、今日は弁護士という仕事だけの視点だけではなく、そのいろいろな社会、経済、政治を含めて、とくに今日のテーマは家族ということですので、そういう家族の視点から人間というもののありかたについて考えていきたいと思っています。ですから、必ずしも弁護士という職業に関わらずお話をさせて頂きますし、みなさまもそのおつもりで気を楽にしてお話を聞いてもらいたいと思います。なお、今日一緒に来ていますのは、私の事務員の鈴木朱美です。こちらの会合の方も記録を取られるようですけども、私の方で今日お話したものは文章化して、皆さん方に、今日来られない会員の方にも、後でお配りしたいと思います。 今日お話しすることを2つに分けてみました。第1部、第2部ということでレジュメの中に書いておきましたが、第1部として、両性の平等に関わる憲法や法律というものがどうなっているのか、どのように憲法や法律などで取り扱われているのか、概観してみたいと思います。実態とか実感として生活の中で分かるわけですが、これが法律とか憲法という観点からどのような捉え方がなされるべきなのか、ということを考えてみるのもまたいいことなのではないかと思うわけです。 それから、第2部において、このテーマが家族法を通じてという視点になっていますので、この家族法について、つまり家族に関する法律というものがどうなっているのかをふまえて、それに関わる課題を見ていきたいと考えています。 なお、最初に訂正をしていただきたい部分があります。2ページめの一番最初の行に「家制度の廃止と良性の平等」の良が良い悪いの良となっております。変換の間違いなので、「両」の字に直していただきたいと思います。それから今日のテーマについては、最初示したテーマが「家族と男女共生」として、副題が「家族法を通じて男女の平等を考える」と書いておきましたが、今日のレジュメでは「両性の平等を考える」ということにしました。一般的には、男女平等とか「男女」という言葉で言われているのですが、憲法などを見直してみると、男女という言葉ではなく「両性」という言葉づかいになっています。ですから、両性と訂正しました。つまり、男女となると、男が先になって女が後に表記されるので、その順番だけでも議論になりますし。両性といえば、どちらが先でもなくすべてを表わしますので、このように訂正しました。 第1部 両性の平等にかかわる憲法と法律 1 日本国憲法(1947-昭和22.5.3.)のなかの両性 最初に、憲法や法律で両性、つまり男女というものがどんなふうに扱われているのかということを見てみたいと思います。まず最初に、日本国憲法でどのように取り上げられているのかをピックアップしてみました。ここで大事なことは、憲法が一番人間にとって大事な規範であるのは、単に世の中の仕組みとか政治体制を作るということだけではなく、人間の本質がなんであるのかというところまで触れてあるところだと思います。ですから、憲法のなかで、いわゆる基本三原則だとか、戦争の放棄だとか、国民主権だとか、これは絶対譲れないんだとか、憲法改正がどうだとか言われてますよね。その中で、私は何と言っても一番大事なのは、憲法13条だと思います。13条には、「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由、および幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政のうえで最大の尊重を必要とする」と書かれています。 つまり、要点が2つありまして、1つは個人として尊重されるということです。これは後で触れますが、法律、民法などで「個人の尊厳」という言葉で述べられていますし、また別のところでも、個人の尊厳として置き換えられています。いずれにしても、1人ひとりの人間として尊重される、その人間としての尊厳が国家にとっても大切なんです。それを最大限に尊重するんだということが述べられています。それからもう1つ、幸福追求の権利ということです。つまり、人間は、生きている時に、何のために生きているのかということはみんな違うけれども、集約して共通項で括れば、幸せになるために生きているわけです。そして、これを憲法では難しい言葉で「幸福追求に関する権利」というふうに述べています。個人が幸せになろうとすることを国が尊重して支援するということです。 ですから、この2つの理念、目標というものが、その他のいろいろな所に出てくるわけです。例えば、戦争放棄というのは、もともと戦争放棄があってその後に幸福追求があるわけではないと思います。つまり、1人ひとりが幸福になるために、戦争をしてはいけないということです。それから、政治体制としても、1人ひとりの国民が幸せになるためには、明治憲法、大日本帝国憲法のような、主権者が天皇であるとか、そういう体制では幸せになれません。ですから、国民が主権者であるということを明らかにし、そのための体制を作りましょうと。また三権分立とか、国会があって、そしてその国会が作った法律を誠実に執行するための内閣、行政というものがある。そしてさらにそれに、行政とか、あるいは個々人の問題などを裁定するための司法制度があると。こういうそれぞれのチェックとバランスによって、求めるものはやはり個々人の幸せだということだろうと思います。 ですから、現在いろいろな憲法改正の議論がありますが、その言葉の表面だけにかかわらないで、その裏にある、もともとその改正議論によって、私たち1人ひとりの国民、市民が、人間として幸せになれるのかどうかということ、そして尊重されるのか、人間の尊厳というものがこれによって実現されるのかという観点から、自分自身で考えてみると、それなりに判断ができるのではないかと思います。 それから、13条が一番基本だということを基に、両性の平等に関する条文内容が明確に規定されてあるのは、おもしろいことに14条と24条と44条と、4がつく条文です。14条は、誰もが知っている「法の下の平等」ということです。法の下の平等についても、憲法の条文は簡潔に記載されています。憲法14条を読んでみると、「すべて国民は法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的、または社会的関係において、差別されない」と、これが14条の1項です。2項と3項もありますが、ここでは直接関係しないので省略します。ここでは、性別による差別はされないということが明確に述べられています。 さらに、平等の原則というものを家庭の中でどのように扱うべきなのかということが、24条に規定してあります。憲法24条は、これもまた学校などでみなさんに教えていますので、当然ご承知かと思いますが読んでみます。24条は第1項と第2項に分かれています。第1項は「婚姻は両性の合意のみにもとづいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により維持されなければならない」。つまり、婚姻、一般には結婚ということです。結婚と夫婦ということについて規定されています。第2項は、「配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚ならびに婚姻、および家族に関するその他の事項に関しては、法律は個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」と、このようにされています。この24条2項の個人の尊厳という言葉に、先ほどの13条の、個人として尊重されるということが表現を変えて置き換えられています。基本的には同じことであると解釈されています。読んでみて、2項ではなぜなのか離婚ならびに婚姻ということで、離婚が先にきて婚姻が後にきている。論理的に婚姻が先かなと思うのですが、こういう形になっています。これが夫婦とか家族に関する規定、相続などについても両性の平等が理念として明らかに規定されている条文です。 それから、政治について規定してあるものが憲法44条です。44条も簡潔な表現ですので読んでみると、「両議院の議員およびその選挙人の資格は法律でこれを定める。ただし、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産、または収入によって差別してはならない」ということで、男女の性別による差別を禁止しています。つまり、選挙権を持つ、あるいは被選挙権を持つということについての事柄は、すべて平等でなければならないということが定められています。同様に、同じようなことは、参政権について憲法15条で定められています。男女平等に関するところを見てみると、15条3項で公務員の選挙について、成年者による普通選挙を保障するとなっています。つまり、こういう15条や44条でなぜこういうことを定めたかというと、戦前はそういう参政権という観点から、女性は全く差別されていたからです。ですから、昭和22年に施行された現在の日本国憲法においては、その両性の平等ということを政治社会、いろいろな面で宣言したというところに特徴があると思います。 これに対して、参考に大日本帝国憲法、通常「明治憲法」ともいますが、その中ではどんなことが定められていたということを見てみます。すると、この国民という言葉ではなく、「臣民」という言葉で国民が表現されています。書かれていることはすべて法律によって定めるということで、明確に平等だとか、人間の個人の尊厳であるとか、そういうことは表現されていません。その点は、日本国憲法が、憲法の条文の中で大事なところは何なのかと表明したところに、大変大きな違いがあるだろうと思います。 また、今新聞などマスコミを含めて話題になっていますのが、皇室典範です。皇室典範は、法律の1つですが、日本国憲法が制定され、施行されるのと同時に、皇室典範も全面改正され、形の上では改正ではなく新たに制定されて、現在の皇室典範ができています。その中の皇室典範第1条で、皇位は、皇位というのは天皇の位なのですが、「皇位は皇統に属する男系の男子がこれを継承する」という規定になっています。つまり、先ほど以来現在の憲法で定められているのを見た平等原則と全く違って、男系の男子、つまり男の系統の、その男の子供が継承するということです。これが、皇室典範の基本です。それから、少し興味があるのは、成年というのは、つまり、未成年と成年を分ける基準というのは、我々国民の場合は20歳です。満20歳になると成年になるということで成人式をしたりします。しかし、皇室典範では、やはり国民よりも偉いということなのかもしれませんが、22条で、天皇、皇太子、および、皇太孫、ここで皇太孫というのは天皇の位を継ぐべき天皇の孫のことです。仮にその父親が亡くなったりしている場合には、その下の男系の男子ということですから、皇位継承者はその孫になるわけです。つまり、皇太孫とは、天皇の孫にあたる皇位承継者です。その成年は18年とするということになっていて、国民よりも2年早く成年になります。ということで、勝手な解釈ですが、生まれながらにして天皇の子供さんというのは、能力のある人と見なされているということかもしれません。閑話休題、男系の男子というところが、第1条に関連して今問題になっています。果たして、これでいいのか。あるいは本当の男女平等とか、それから、現実問題といいますか、子供がいるかいないかという現実問題を踏まえて考えると、女性でもよいのではないかという、いろいろな理念や現実を絡み合わせて議論がされているのはご承知のとおりです。 2 女性に関する多くの法律(実現したい理念) 私は、憲法については、実際に弁護士の仕事をする中で関係することを通じて、あるいは一般に新聞で報道されているような重要な法律などについては、みなさんと同じように分かっていますが、世の中には、たくさんの法律が、あるいは条例があります。例えば、この1冊の本は「女性関連法データブック」ということで、国際女性の地位協会というところで編集してまとめているものです。細かい字でこれ1冊にびっしり書いてあるわけです。これだけ、法律や宣言や条約や、あるいは国際機関の決め事などがあるということです。ですから、これを読むだけでも1か月ぐらいかかってしまうので、とうてい1人の人がすべてのことが分かるなんていうことはありえないし、またその必要もないと思います。何か問題があるときに、自分でこういうもので探せるというか、そういうものがあるんだということが理解できれば、それでいいと思います。 ただ、ここで1つだけ指摘しておくことは、法律というのは両性の平等についてどうあるべきなのかということです。いわば、理念、目的というものが定められている、それに基づいて規定されたのが、この法律とか規則とかであるということです。その法律や規則と現実の私達の世の中と大きなギャップがあるということもまた現実です。そのギャップというものを、端的に率直に見極める必要があると思います。そして、そこで目の前に出された課題というものを、どうやって解決していくのか。そのギャップを埋めていくのに、誰がどんな行動を起こすのかということを考えて、これからは自分自身が何をなすべきなのか考える、行動することが大事な時代になってきたと思います。 3 裁判において問題とされたおもな事例 そこで、いままでどんなことが、どんな問題状況が、先ほど話したような憲法の権利、平等ということに関連して問題になってきたかということを、特に裁判に現れたような事例で若干見てみたいと思います。 @ ここ(レジメ)に書きましたのは、例えば従軍慰安婦について「国がそれを補償するという法律を作らないのはけしからん」ということで訴えたような裁判事例がありました。当然、従軍慰安婦というのは女性の問題ですから、男女の平等とか、とくに人間の尊厳ということに関わることです。13条の個人の尊厳にかかわる問題として、そのような事件であったとして、ここにいれました。 A それから次のは、嫡出子、非嫡出子の相続分の事例です。これは法律用語で、嫡出子というのは、正当な婚姻関係の間柄にある男女に産まれた子供を嫡出子といいまして、そうではなく、正当な婚姻関係とは別の男女関係の間で産まれた子供を非嫡出子というわけです。そして、例えば、ある男性が亡くなったという場合に、正当な婚姻関係から産まれた子供がいて、さらに別のところで別の女性との間で産まれた子供がいる。そのような非嫡出子がいる場合に、非嫡出子の方が嫡出子の相続分の半分しか貰えない、半分しか相続する権利がないと、このような法律があるわけです。これが、男女の平等というか、人間の平等ですね、特にその子供の観点から見れば、家族関係における平等に反するのではないかということがあげられます。それから、それらの子供の母親が両方いるわけですから、それは明らかに差別することにも繋がっていくのではないかというようなことが論じられたました。 B それから、労働関係における結婚退職制ですが、昔はあたりまえのように男女の定年の年齢が違っていました。今はほとんどそういうことは無くなりましたが、昔だと、男は55才、女は50才と、女性の方が定年の年齢が低く定めれていたということがあります。さらには、結婚したら会社をやめるんだというような、その結婚退職制ということも、今も事実上行なわれているところは少なくありませんが、昔は堂々と就業規則に書いてあっても誰も疑わなかったっという時代もあったわけです。定年であるとか、結婚退職、あるいは子供ができたら辞めるとか、そういうことがごくあたりまえ、それが社会的に認められた慣習であり、そして法律的にも認められるし、また、労働の中でもそこで働く仲間達も当然のこととして受け入れていた時代があったわけです。それに対して、おかしいということで、疑問を呈して訴訟をやった方が何人もいます。その結果、最高裁判所をはじめ、これはおかしいぞという判決が出て、さらには法律が変わって手当てをする、あるいは、それぞれの職場において、実質的な平等というものが実現されていくということに繋がってきたわけです。 C それから、夫婦別産制ということについてお話します。夫婦の財産制というのは2通りあって、夫婦それぞれ個別の財産であるということを法律の原則とする場合と、それから夫婦として蓄えた財産は共有とすると、これを原則とするという法律制度と、両方ありえます。その場合に、夫婦別産制を日本は取っている訳ですが、別々にすると、結局今でこそ女性が働いて自分で管理する、それが当たり前の時代になりましたが、つい最近までは自分の稼いだ給料を家と同じ財布にいれなければならないということで、家計が運用されているところも少なくありませんでした。そうしますと、別産制とは言っても、結局自分の収入は全部夫、あるいは夫の親から取られてしまって、自分の財産は何もないということになってしまいます。これは実質的な不平等ではないのかというような問題がありうるわけです。 D それから、女性の場合、離婚すると6か月間結婚してはならないという、再婚禁止期間が法律で定められています。これもまた、合理的な理由がないのではないかということで問題になっています。なぜ、女性についてだけ離婚したあと半年間は結婚してはいけないと決めたかというと、その女性に、その数か月後に子供が生まれた場合に、どちらの子供なのか、つまり前の夫の子供なのか、それとも離婚後に付きあった男性との子供なのか、それがはっきりしないのでないか、ということで、その子供の父親をはっきりさせるためという政策的な理由で婚姻をしてはならないと定められています。つまり、その期間内に婚姻届を提出しても受理されないということになってしまいます。これもまた、今は科学が発達して、父親が誰であるか分からなければDNA鑑定のような判定できるようなシステムもあるので、6か月というのは意味がないのではないかと。そんなに長くなくても、妊娠したかどうかさえわかればいいのではないかとか。だったら、3か月くらい間をおけば、はっきりするのではないかと。このようないろいろな議論があり、これについても、最初は最高裁判所が合理的な理由があるから合憲だと言いましたが、その後もさらに議論が続いて、6か月というのは長すぎる、おかしい、不必要だという理解が大勢になってきています。 4 現実社会における病理現象(実質的不平等) さらに、あらたな男女をめぐる問題状況というのが出てきています。例えば、このセクシャルハラスメントとか、ドメスティックバイオレンスとか。その男女の関係において、どちらがその場において力が強いかということで、暴力行為が行なわれることがあります。あるいは、その人格の尊厳というものが損なわれるような関係が持たれることがあります。そういうことについても、先程の憲法13条の視点からしますと、なんらかの対策というものを法律の面でも実行していかなければならないし、また、社会の中でも対応していかなければならないのではないかということが1つの問題として述べられています。また、今年できたようなつい最近の新たな立法について、男女間の暴力を禁止するというか、それに対する対策の法律ができたという段階です。 また、従来から一般的にあった問題についても、先程のような法律や憲法の規定、そしてさらには裁判というような手続きを経て全て解決されたのかといえば、そんなことは絶対にありません。実際、たとえば離婚、相続、というどこにでもある問題について平等に対応できるのか、解決できるのかというと、現実の社会ではそんなことはありません。ですから、これについては、これからいろいろな点で私たちが問題を認識しながら、対応を考えていかなけえばならない課題がたくさんあるということがいえます。 中間での質疑応答 (徳永) 新聞に従軍慰安婦の問題が出ているのですが、むりやり慰安婦をさせられていた人と、自ら好んで参加していい暮らしをしていた慰安婦が同じように補償をしてくれと言っているのはおかしいと思うのですが?望んでやっていたのに、なぜ日本の政府が補償金を払わなければならないのか? (長岡) それは、時代背景の特殊性と人それぞれの考えかたの違いを考えさせられる場面です。平和な時代に好き好んでそういうことをする人はいませんが、その時代背景がそうさせたんだろうと言えます。時代が変われば、時代の被害者だったと言う人も出てきます。そういう場面は特殊で記録がはっきりしていないので、正しい認識と判断が難しいのです。 (今野) 日本国憲法について、参政権の問題でGHQが関わっていたとのことですが、あの中にいたたった1人の女性が男女平等と結婚の自由ということを憲法に入れることにしたということを聞きましたが、どの程度GHQは関わっていたのですか? (長岡) GHQが日本にふさわしい憲法の案を作りました。それとは別に、明治憲法を改正するという基本的見解による案を日本国の側において提示しました。憲法制定作業の中には日本側の案とGHQの案とがあり、最終的にそれを合わせて現在の憲法が出来たということですが、基本になっているのはGHQの案です。また、形式的にみると、この憲法は新たに制定されたというよりは、明治憲法の改正です。 現在、憲法改正が必要だと指摘している人達の指摘が当たっている部分も確かにあります。しかし、憲法を守らなければと言っている人達の言い分ももちろん当たっています。全体として、この時代の政治状況でこの憲法が作られました。文章的に不完全な点ももちろんあります。民法についても、1948年に現在の憲法の制定に伴って親族法と相続法の部分が全面改定されてから、ほぼ50年経っているので、それなりにあたらしい理念が世の中に出ています。社会の大きな変動もあります。憲法についても同じことが言えます。その場合に改正するという議論があたりまえなのではなくて、基本的に一番大事なのは、個人の尊厳、幸福追求というところを、どのように国が後押しをして保障すべきなのかという観点だと思います。 第2部 家族法の概要と主体的現実的課題 家族ということに関して、法律でどのように定められたのか。これもまた、憲法の改正ということと、つまり敗戦による改正ということです、日本国憲法の制定、改正ではなく実質的には制定ですが、法の形式としては改正ということと、それに伴って民法が大きく変わったということを認識する必要があると思います。そして、その民法の理念と制度が大きく変わった中で、国民である私たちの生活者の意識というのもそれに合わせて変わってきているのかどうかということを検討してみる必要があるのではないかと思います。 1 家制度の廃止と両性の平等 ---民法全面改正の基本原理 まず、この敗戦後に憲法の改正と平行して行なわれたのが、家制度の廃止ということです。そして、両性の平等ということを基本原則として、その制度が具体的に憲法という法律の中に組み込まれたということです。家制度というのは、戸主を中心として、その戸主が家族全員の面倒をみていく、そういう義務と責任を負うんだということです。そしてその反面、その構成員たちは戸主に従う、1人ひとりが勝手な言い分を出したり、独自の行動をしたりしないということが、いわゆる順風美俗といいまして、日本古来の社会システム、家族のありかたなんだという基本的な考え方がもとになっていると言われています。具体的な制度としては、戸主というのは1人だけですから、戸主を誰にするのかということで、いわゆる、相続、跡目相続というか、その後継者というか、法律では家督相続といいましたが、その家督を誰が引き継ぐのかということで、先程の皇室典範で男系の男子ということで定めるられているのと同じように、いわば、嫡男の人、男が引き継いでゆくと。それも、1番上の長男が引き継いでいくというのが原則とされたわけです。そして、また当然のことながら、男性が中心であって、女性はそれを支える、支援するような補助的な立場にしかないということが、法律のなかでも明確に定められていたわけです。 2 行為能力規定の改正 具体的に、民法のうえでは女性は行為無能力者とされていたわけです。行為能力がない、行為能力とはどういうことかと言いますと、簡単に言えば、現在の未成年者と同じです。未成年者が法律行為をする場合、例えば不動産を買うという契約は、未成年者でも買うことはできます、あるいは売ることもできます。しかし、そのような契約などの法律行為をする場合には、未成年者が、例えば高校生があるいは大学生でも19歳の人は未成年者ですから、自分の名前だけで、自分の印鑑証明と印鑑だけで売ったり買ったりすることは有効にはできません。それをやるのは、法定代理人、法律が定めた代理人である親権者、つまり親です。つまり、父親と母親が共同して親権を行なうということになっていますので、その法定代理人の両親の名前でやらなければならないというのが現在の制度です。それと同じことが、昔の民法の女性がおかれた立場だったということです。だから、今だって、悪い言葉ですが、「おんな・こども」と言いますね。それは、女も子供(未成年者)も、成年男子以外は全部行為無能力者だったんですね。そういう時代が明治憲法、そして明治に作られた憲法のもとでは続いてきていたということです。法律制度としての適切さについて疑問に思った人はいたかもしれませんが、みんなそれに従わざるを得なかったわけです。それが、従来の戸主、家の制度だったんです。 これに対して、民法は、鍵カッコでレジメに書きましたように、民法は1948年昭和23年の1月から、新しく改正されて施行され、民法1条の2というのが新しく付け加えられました。この条文が、ここに書いてありますように、「本法は個人の尊厳と両性の本質的平等とを旨としてこれを解釈すべし」とこのような条文が民法の1条の2という条文に追加されたわけです。ここで言っているのは、やはり個人の尊厳ということと、それが基本ですが、そのために家族法を中心として問題になるのは、両性の本質的平等なんだということが明らかに規定されたということで、これが現在の民法の基本的姿勢だと言えるわけです。 このように、約50何年前に憲法も全く変わって、民法の条文も変わったけれども、現在の我々の意識というものが、その理想に達しているのかどうか、追いついているのかどうか、50年前の理想が、まだまだ我々の現実社会では実現されていないのではないかということが問題ですし、これからの課題がまだまだそこにあると言うべきだろうと思います。それでちょっと参考までに、行為能力ということにつきましては、先程言いましたように、女性について行為無能力者とされていたものを全部撤廃しましたので、男女の平等、差別的な取扱いをしないということについては明らかになりました。 (参考)行為能力についての一般的説明 行為能力ということにつきまして、今回両性の平等と直接関係がありませんけども、これもいわゆる成年後見とか言われているもので、大きく最近法律が変わった分野ですので、ついでながら話をしておきます。参考にお聞きください。ここに@からCまで書かれていますが、未成年者ということで満20年に達しない人は未成年として法定代理人、つまり親の同意が必要であるということです。そして、そのほかの3つ、A、B、Cというのが新しく改正された部分です。2年ほど前までには、禁治産者とか準禁治産者という言葉がありましたが、それらは全部なくなってしまいました。その禁治産者にあたるものが後見ということに置き換えられました。それから、準禁治産者にあたるのが保佐ということに置き換えられました。それから、補助というのが新たに作られたということです。 具体的にそれぞれどういうことかといいますと、後見というのは、例えば日常的な買い物とか、その程度は自分の判断でできるけれども、もっと大きな財産、何十万もするものとか、不動産とか、そういうものの取引きなどについては、それをやるだけの判断能力がないと医学的にも認められるような人について、その人を保護しなければならないということで、後見人というものをつけることになりました。ですから、実際にそのような行為をする場合には、後見人が本人の代理人として契約などを行なうということになります。それから、勝手に本人がやってしまったことは、後で後見人が取り消すことができるということになります。簡単に言えば、日用的に食料品を買いにコンビニに行くということはできるけれども、それ以外のことについては、1人ではやれないということです。そういう方の後見ということになるわけです。 それから、保佐というのは、後見ほどには重くないけれども、1人で判断して、1人で行動させるのは不安だと思われる程度の人に対してです。そういう人については、保佐人をつけまして、保佐人と協議して、保佐人が援助して同意してあげると、実際は代理人ではなく本人がやるのですが、そういう援助システムが保佐ということです。 それから、補助というのは、それよりもずっと、障害といいますが、不安定さは低いのですが、例えば、親からもらった不動産がたくさんあり、このまま自由にさせておくといろいろな人に騙されるのではないかとか、そういう被害にあったり、自分でその土地の評価ができなくて、悪質な業者に言いくるめられて処分したりするのではないかとか、そういう不安があるような場合について、その物を売ったり、買ったり、お金を借りたり、そういう重要なことをするにあたって、1人でやってはいけませんと、補助人の同意を得てやってくださいと、そういう重要な部分だけで制約をするというのが補助というわけです。 ですから、この後見、保佐、補助という3つの制度は、本人の立場からすると、精神的能力というか、判断能力がすばらしく落ちる人と、1人だけで行動させるのが相当に不安だということと、大きな事については援助してあげないと危ないと、その程度の差でこの3つに別れるということです。 それからさらに、成年後見の中には、任意の後見という制度が新しくできまして、例えば、「今、私は、自由に行動したり、判断したりする能力を、精神的にも肉体的にも持っているけれども、周りの人を見ていれば、年齢と共に少しずつできなくなるので、今のうちに私がその場面になったらあなたに頼みます。」ということを今のうちから頼んでおくという制度です。そういう契約をしておくわけです。しかし、実際に自分がぼけたということは自分で判断できないので、人に頼んでおけば、そろそろ手当てをしなければならない時期なのではないかと、裁判所の許可を受けて、後見人に就任するとか、あるいは後見監督人からチェックしてもらうというシステムをつけているのですが、そういう後見監督人を追加して選んで、そこで本人のためになるような財産の管理をしていくという任意後見の制度もできました。 3 親族に関する全面改正(第4編)と現況・課題 それから、親族についての民法の親族編というのがありまして、戦後全面的に改正されて、現在の民法になっているわけですが、それは、先程も憲法のところでお話しましたように、婚姻をする、結婚をするとか、あるいは離婚をするということについての、自由な意思で行なうことができることや、あるいは姓について、離婚の場合に氏をもとの氏に戻さなければならないとかが、今度は戻さなくてもよいという制度になったり、50年前につくられた法律ですが、少しづつ、社会の実態、要望などに応じて変わってきているということが言えるわけです。それから、今当面の課題として、国会でも議論されているのは、結婚しても姓を変えないという選択肢を作るべきではないかということで、夫婦別姓の選択肢を認めるという法律案もできています。国会で議論されていますが、まだ成立されるまでには至っていないということです。 それから、現に、離婚とか夫婦とか、家庭の中での問題状況というのは、いろいろなものが千差万別にあるわけです。例えば、離婚の現場1つを捉えてみましても、「離婚さえすればお金なんかもうどうでもいいから、こういう配偶者から一日でも早く別れたい。束縛から逃れたい。」と、そうやって離婚せざるを得ない人も、まだまだ少なくないという状況があります。だから、そんな場面ですと、当然慰謝料とかそれから将来子供を育てるための養育費であるとか、そういう財産的な給付というのはほとんど期待できないですし、それで困っている人たちは少なくないという現実があります。また、逆にそういう場面に対して、行政とか国とか公の機関がどれだけ介入したり、援助したりできるのかということについては、両性の平等を突きつめていけばいくほど、関わるべきではないのではないかということになってる場面が多く見受けられるます。ですから、果たしてそれでいいのかということは、やはり平等という条文が、法律を作るのは簡単ですけども、法律がそれに現実に一致しているのかということが、これもまた考えていかなければならない大きな課題だと思います。先程も、いろんな訴訟を起こして法律を変えてきたんだという話をしましたが、やはり、訴訟に限らずいろいろな現実、法の求める理想とのギャップというものを、いろいろな場面で、法律を作る人、あるいは行政を執行する人、そういう人達に対してそれを伝えていくということも大切であると思います。 最近、私自身の体験したところで思うことは、特に外国人のお嫁さんが山形県にたくさんきているということです。そういう方については、結婚しても日本人にはなれないので、戸籍ももちろん別ですし、名前も本当は別なんです。同姓にもなれないわけです。しかし、日本人になっていないのに、行政では日本人らしき名前を付けなさいと指導しています。あれだって、個人の尊厳という観点から見るとどうなのでしょうか。私の名前はそんな名前ではないと。姓が変わるだけでも、日本人にしてみれば苦痛だ大変だと考えている人が多いはずです。大阪府の知事だって、太田さんではないんですよね。太田房江さんでしたか?あの人だって、本名は別なんです。それと同じように、日本人だって、前の名前をそのまま使いたいという人が多いにも関わらず、外国の人が日本人と結婚したら、姓はもちろん名前まで全部変えて日本の名前を付けなさいと、これはもう人格を無視したことなのではないでしょうか。法律で強制しているわけではありませんが、現実に日本名がこれだと、生活の中ではそれを使いなさいという現実があるわけです。それは、日本名がなんであるのかということも、社会のシステムとして提示されているわけです。 例えば帰化する場合も、最近の新聞にありましたが、本人の名前で帰化してもいいわけです。法律的には制約は何もありません。ですが、日本人になるんだからということで、現実に行政が指導するわけです。今は強制ということはしていないと思いますが、行政が指導をするわけです。そして、それがあれば帰化がしやすいと。つまり、法律と現実とのギャップと、その間に行政機関の指導とか、あるべき姿がなんであるのかということを求めるその方向性の違いというのが介在しているということです。それが現実であると思います。そのような方々の立場に立ってみると、私たちが今もっと改善を、あるいは大きな意味で改革という場面もあるのかもしれませんが、そういうことをしなければならない分野というのが、現実に私たちのすぐ近いところにあるということを感じるわけです。 4 相続に関する全面改正(第5編)と現況・課題 それから、相続についてみてみますと、相続人について大きく変わったのは、前の法律では1人の人が家督相続ということですべての財産を引き継いだということを話しました。しかし、現在は共同相続の原則になりまして、法律が定めて相続人はすべて同じ立場、同じ持分で権利を取得すると、もちろん義務も承継するということですが、そういう平等というものが図られたということになりました。しかし、これまた、法律上の平等はできているけれども、現実にみんな平等に財産分けをしているかというと、決してそうではありません。これもまた、難しい現実の問題状況があると指摘せざる得ないと思います。 それからもう1つ、そういう現実の場面という相続人同士の問題とまた別に、例えば、こういうケースというのはあり得ます。例えば、おじいさんがいて、息子夫婦がいて、孫がいると、こういう3世代で同居している方が世の中には少なくありません。その中で、その長男である息子が先に死んでしまって、おじいさんと息子の嫁さんと孫が住んでいるというような状況の中で、このおじいさんが亡くなった場合どうなるのか。そうなると、法律上は長男の妻には相続する権利がないわけです。自分の夫がそういうことにならずに、つまりおじいさん方が先に亡くなれば、そこで長男が引き継いで、そしてその長男が亡くなれば、その配偶者だから、自分は2分の1の権利が出てくるわけです。こういう順番だといいのですが、そうでなく、息子の方が先に死んでしまって場合ですと、配偶者という立場からすると何も権利がなくなってしまいます。財産が多ければ、やはり兄弟の方々はその財産を欲しいと言ってきますし、そういうことが現実にはあるということです。先日、そういう場面にあった女性が来られまして、どうすればいいかということでしたが、そのおじいさんが亡くなる前に工夫しなければなりません。例えば養子になるとか。養子縁組をすれば、自分も子供の立場になります。あるいは遺言を書いてもらうと。「自分の財産はあなたに、つまり長男の嫁のあなたにあげる」と。「親子関係はないから相続人にはなれませんが、遺言であげますよ。」ということを書いてもらえば、引き継ぐことができるわけです。それだけの信頼関係維持と一つの工夫ということをやって準備をしていけば、この法律の抜けているところ補充することも可能なのかなという感じはします。昔は農業をしている人にお嫁さんが来ないと言われましたが、最近は商売をやっている人にも来ないと言われています。相当前から言われていますし、最近は何とか屋、例えば、八百屋とか魚屋とかと言われるような商売が成り立たなくなって、そういう観点からしても、商業をやっている人の事業承継、相続ということについては、大変難しい場面があると指摘されています。 5 教育システムの重要性 それから、最後になりますが、今話したように、両性の平等ということを考えた場合、法の目指すものと現実というのが、いろいろな要因によって、理想と現実が一致しないということが多いということが言えます。そこで何をなすべきなのかは、それぞれの人の考えるところとなりますが、私は、ここでは1つだけ、教育の重要性というものをご指摘したいと思います。つまり、例えば、私の子供は3人とも女性なのですが、そういうことで思うことがあります。1人の子が女子高に入ったのですが、学校からもらった保護者名簿には全部男の名前が書いてありました。つまり、父親の名前が書いてあるわけです。それから、職業の欄には父親の職業が書いてあるわけです。多くの学校でそれが普通に行なわれているようですが、それでは何の女子教育なんだと私は疑問に思うわけです。つまり、あなた方、一生懸命勉強してじゃあ何になるのと。こうゆう、夫の陰に隠れて名前も全然出てこないような人になりなさいと、学校自らが言わなくても示してることになってしまいます。ですから、私は娘が1年生に入学したときに、保護者の職業を届け出る紙に、妻の名前と連名で書きました。しかし、私の名前しか載りませんでした。学校側が選択してしまっているわけです。そういうことについては、1年生のときに、考えて変えるべき事柄ではないのかと提言しましたが、全く取り入れてもらえませんでしたし、2年ほどたった今も実態は全く変わっていません。 また、学校の先生なども、今もって「父兄」のみなさまと言います。父兄というのは、さっきの家督の問題なんです。父それから兄なんです。父がいなくなったら、家督を継ぐのは兄、長男なんです。だから、父兄というのはこの家督の戸主のことを言っているわけです。家制度の中の戸主イコール父であり、兄なわけですよ。ところが、国語の学者がそうでないと屁理屈を言って新聞に書いてあったことがあるのですが、父兄というのは、「父母兄弟姉妹」の略なんだと言うんですよね。何を言っているのかと疑問に思います。もしそうなら、兄弟姉妹で妹が授業参観に行ったりしますかと。そんなことはありえないわけです。あくまでも保護者と同じ言葉として使っているわけです、父兄という言葉は。女、子供と同じように、父兄という言葉は今は使っていけないと思いますし、先ほどの保護者の名前とか、職業などについても、やはり教育の現場で検討すべきこと、それから、別に法律や条例なんか作らなくても、やろうと思えばやれることだと思います。それが、まだまだやられていない現実が多いということを、どう捉えていくかということが1つの課題です。 それから、もう1つは、みんなが意識を持って変えていかなければならないことは、「これもまた1つの理屈にしかすぎない。」そう思っても現実に変わらなかったら、やはり法律を作る人、あるいは、行政を執行する責任者、そういう人を変えれば、その人の意識を変えたりきちんと分かってもらえば、場合によっては新しい人にするとか、そういう対策によって、理想に近づける方法というものがあるのではないかと思いますし、最後にはそういうことになるのではないかと思います。今回小泉(純一郎首相)さんが国民の8割方の支持を受けているというのは、そこが受けていると思います。つまり、みんなそう思っているんだと思います。変えなければならないんだと。このままではだめなんだと。そこにああいう勇ましいことを言って入ってきた人がいるものだから、中身はどうであれ、まずはその姿勢を評価しようと、本当は中身は何もないのでまだ評価できないんだけれども、その姿勢に期待しようということがあります。これからの何年かで大きな大転換が行なわれる1つのきっかけが、できつつあるのではないかと思います。 質疑応答、意見交換 (徳永) 婦人問題研究会でお墓の研究をしているが、女性の半分の人が夫と同じ墓に入りたくないと言っています。男女平等として、死んでからのお墓というものはどうなるのか? (長岡) お墓の問題つまり死んでからのあり方は、これからの自己決定権ということで大事な分野です。自分の生き方をどうするのか。人間の生き方ということは、死に方にも通じます。法律に違反しない限り自由な埋葬がありえます。自分の遺体をどうしてほしいのかということを、遺言を実行してくれる人に託しておくということが、生きることについての自己決定権の重要な一部になっています。ある法律的面からいうと、死んでしまった骨は人格がない。骨の所有権が誰になるかが問題になります。その所有権は相続人のものになります。民法では祭祀承継者(祭祀担当者)がこれを決めると定められています。誰に祭祀承継者になってもらうか、遺言で決めることができます。家族でなくてもよいとされています。 (今田) 先ほどの話で、外国人の名前を役所の方が読みやすい名前にした方がいいと言って日本人らしい名前に変えたということでしたが、私は行政書士としてそういう仕事を実際やっているのですが、そういう意に反して外国人の本名を変えた例は聞いたことがありませんが。 (徳永) フィリピンから日本へ来た子供は、昼寝をするのを習慣にしているので、日本の母親方が同じ教室にしないでほしいと言っていて問題になっています。教室を別にして就学しなければならないので、学校側でも困り果てているようです。 (長岡) 今までの価値基準は同じシステムの中で大量生産させるという考え方でした。今現在は、個人の尊厳を考えるとそれは間違いであると言われています。外国人については、こういう問題があると初めから分かっていたことです。彼らの子供は、同じ国民であるにもかかわらず差別されたり、不平等な待遇を受けたりしているので、彼らや彼らの親が「自分は外国人だが、子どもは日本国民である」と権利を主張する場面が多くなると思われます。 (今田) 女性の立場からすれば、例えばパキスタンの男性と結婚したら、パキスタン国籍になってしまい、その後もし離婚すると、日本国籍はもうないので、もうもらえないということになります。そういうことがあるので、その国に移住して何年かじっくり考えてから国籍を取得した方がいいと思う。 (長岡) 私がお伝えしたいことは、法の理想と現実とのギャップがそういうところにあるということです。それに対応して、法律がどう対応するのかということが現実にはできていないし、地方公共団体でも運営していく財政的な能力を持っていません。現場の人もそこまで押し付けられては困るという状況です。一般的な見解と本人達の立場に大きな違いが出てきています。 (参加者) 今は絶対論ではなく、個人というのが重要視されている。 多数決の原則ということについて、 (長岡) 我々は、多数決の「原則」と言っているが、多数決は例外であると考えるのが本当です。多数決の原理を間違えて覚えていると言えます。多数決は、討論のうえ全員一致に至りたいが、時間などの制約があって無理な時に、多数で決定をしようという方法に過ぎません。 (佐藤) いろいろな事例の中で、法律の側面について知っていればトラブルが防げたというどんな領域がありますか? (長岡) 知っていればよかったということは、男女に限らず職業に限らず、多くあります。先ほど示したように、女性関連の法規だけでも1冊の本ができるぐらいの情報が出てくるので、現実には知らないのがあたりまえだと考えた方がいいと思います。これから大事なことは、それを知るかどうか、つまり知識があるかどうか、やり方ノウハウ(How)が分かるかどうかということが大切だとされてきました。しかしこれからは、問題意識(Why)を持てるかどうか、そしてこの問題について知っている人は誰か(Who)、必要に応じてその人に相談してみることが必要です。 (佐藤) 私の専門は家政学なので、家庭管理について教えています。それで、1番初めに教えることは、「家庭生活をマネッジメントすることはどういうことか」についてです。それは、「家族1人ひとりの人生の目的を達成することである。」ということが、翻訳物の教科書に出てくる典型的な表現です。今の日本で見ると、まだまだ遠いと思います。今、夫婦別姓のようないろいろな問題がありますが、やっぱり近代的な家族が形成される過渡期なのかなと思います。それを待っていて夫婦別姓が出てくるのか、反対にどんどん強い個人が出てきて、そしてそれが新しい家族を作っていくのか、そのあたりはどちらの方が現実的なのでしょうか。 (長岡) 理念と現実の2つをどういう取り合わせにするのかということです。法律には2つの側面があります。1つは、悪徳商法であるとか、社会における問題が起きた、そしてそれを規制しなければならないということで、悪い現実が先行して、その問題を解決するために後から法律ができている場面です。これに対してもうひとつ別の方向性は、世の中のあるべき姿の新しいシステムをつくるため、立法と予算措置が取られる場面があります。今で言うと、国民全体のレベルを上げるためのIT革命が例にあげられます。先ほど話をした日本国憲法も、親族法、家族法の民法大改正もそうでした。それぞれ具体的場面でどちらが先行しているのか、自分で分析、判断してみることが大事だと思います。 (佐藤) 先生の判断では、夫婦別姓はどちらの場面になると思いますか? (長岡) 夫婦別姓は、選択という言葉で考えてみたいと思います。夫婦別姓は、一律の義務ではなくて当事者が選択できるということです。選択したい人がいるのであれば、選択肢を与えればいいと思います。新たな選択肢を作るような法律があってもいいと思います。 (徳永) 個人的な特殊性のある技術を持っている人は別姓の方がいいですし、誰々の奥さんという場合はいらないですしね。行政との関係で、山形県の民主主義ができていないところにこういうことをしてもだめだと思います。基本的な民主主義を徹底したのであれば、男女共生は言わなくても出てくると思います。最初に民主主義ができていないとだめだと思います。行政の中で民主主義を徹底してもらえば、個人が生きられます。 (佐藤) それでは、お話も長くなりましたのでこのあたりにさせていただきます。長い時間ありがとうございました。 (レジメ)
第1部 両性の平等にかかわる憲法と法律 1 日本国憲法(1947-昭和22.5.3.)のなかの両性 個人の尊重、幸福追求権 13 法のもとの平等 (性別による差別禁止) 14 家族生活における個人の尊厳と両性の平等 24 参政権 15 議員・選挙人の資格 44 参照 大日本帝国憲法(1890-明治23.11.29.) 皇室典範(1947-昭和22.5.3.) 皇位継承の資格---「男系の男子」 1 2 女性に関する多くの法律(実現したい理念) 家族 労働・職業 政治 社会 学校 地域 3 裁判において問題とされたおもな事例 従軍慰安婦と補償立法 13 嫡出子・非嫡出子と法定相続分 14・24 男女の定年年齢較差と不合理な差別 14 結婚退職制と婚姻の自由 14・24 夫婦別産制 24 女性の再婚禁止期間 14・24 4 現実社会における病理現象(実質的不平等) 離婚の条件 相続の実態 労働差別 職業選択 高齢者介護 セクシャル・ハラスメント(SH) ドメスティック・バイオレンス(DV) 第2部 家族法の概要と主体的現実的課題 基本法としての民法(1898-明治31.7.16.) 民法の改正---親族、相続、総則規定(1948-昭和23.1.1.) 1 家制度の廃止と両性の平等---民法全面改正の基本原理 戸主、家督相続、隠居、男性中心主義、女性の行為無能力 「本法は個人の尊厳と両性の本質的平等とを旨としてこれを解釈すべし」 1の2 社会における意識改革が実現されたか 2 行為能力規定の改正 参考 行為能力の制限に関する制度 @ 未成年者(満20年)---法定代理人(親権者)の同意 4 A 後見---単独行為不可、取消し 7〜 B 保佐---一般的行為につき、保佐人の同意 11〜 C 補助---特定行為につき、補助人の同意 14〜 3 親族に関する全面改正(第4編)と現況・課題 婚姻、離婚、姓、財産に関する改正 夫婦別姓などの立法課題 離婚の現場における問題状況 新たな課題 外国人妻、その子、帰国者 4 相続に関する全面改正(第5編)と現況・課題 相続人の平等、法定相続分、前提となる遺産の帰属状態 農業・商業などの事業承継と財産分割、「後継者」の位置付けに関する社会意識 相続への意識的準備・対策が必要な場面 5 教育システムの重要性 生徒・学生の名簿、保護者の名簿、表現方法・呼び方 (文中の数字は、関連する憲法・法律の条文です) |