長岡壽一講演録(男女共生)

2001(平成13)年10月25日(木)午後7時〜9時
山形市 元木公民館 2階研修室
講師 弁護士 長 岡 壽 一
Nagaoka,Toshikazu

山形市社会教育課 市民大学講演
新しい時代の男と女
−個人の尊重と幸福追求権(憲法13条)を考える−


 長岡でございます。今日の講演のテーマ、それからこの講座の趣旨が「男女の関係」ということで、何やら楽しそうで、私も次回から聴講してみたいと思わないでもないですけれども、今、女性と男性というのは関係なくなってきています。私は、現実問題として、男女の関係なしという感じが現状なのかな、と思うんです。それでは、どういう場面でなくなっているのか、なぜそうなのか、これからどうなっていくのか、自分はその中でどのように生きるのかということを考える1つの素材を提供できればいいな、と考えております。

 今日は女性の方が多い、けれども私も含めて男性も有力に少数ながらいるということで、女性の一生を、どんな特徴があるのかを見てみたいと思うのですが、35歳と84歳、84歳というのは、これ、平均寿命ですよね。だけども、平均寿命というのは、皆さん統計にごまかされてはいけません。平均寿命というと、一般の平均的な人が何年生きるか…と、考えるでしょ。平均寿命というものはそういうものだっていううふうに。果たしてそうでしょうか。本当は逆ですよね。つまり、平均寿命84歳というのは、どうやって出すかっていうと、去年死んだ人の平均年齢なんです。だから、今まで生きてきた人の平均年齢なんですね。今生きている人がどこまで生きられるかということを、この平均寿命に当てはめて、私はあと何年あるというように考えてはいけないですね。もしかすると、もっともっと伸びるかもしれないしね。もしかすると、もっともっと下がって60歳くらいになるという説も有力にありますしね。ですから、平均寿命という言葉をそのままの額面どおりに受け取らないで欲しいんですけれども。いずれにしても、こういう数字しかありませんのでね、ではこの35歳ってなんですか。女性にとって35歳っていうのは、どういう歳だと思いますか。
 (出席者・男性)子供を育て上げる歳。
 (出席者・女性)子供を産み終える歳。
 (出席者・女性)下の子が小学校に入る歳。

 今出た中で、皆さん確かに鋭いなと思ったんですが、子供を何人産むか。だいたい平均すると、結婚した場合を想定しますが、2人子供を産んで、35歳になると2番目の子供が小学校1年生になる、つまり、6歳になると。ほぼ育て方が一段落すると。そうすると、2人とも小学校に行ってしまうと、日中は暇になるわけです。暇な時間というとちょっと言葉が悪いですけれども、時間を自分で使えることになるわけです。それまで、いつも子供のそばにいて自分の手で育てようと、そして育てられる環境というか条件が整っている場合、自分もそうしたいという方は35歳までは子供のために数年間過ごさなければならない。平均して10年くらいですね。25、6歳から最初の子供を産んで、そして29、30歳で2番目の子供を産んで育てていって、35、6歳になるとだいたい手が空いてくるわけですね。だから、夜スナックとかに遊びに行っても、この辺の年代から女性が急に多くなるでしょ。それからもうひとつ多いのは、これより10年くらい前の20歳から20代半ばのまだ結婚する前の方々。この方々は全く時間の制限もなく自由ですからね。あくまでも一般的な平均的な当てはめ方をするとこうなります。

 さてここで、35歳から84歳までちょうど50年あるわけですよね。当たり前のようにあなた方、私も含めて思ってる。けれども、昭和の初め頃、今から70年くらい前はどうだったのかというと、平均寿命が50歳くらいですね。それで、何人産むかというと平均5人なのね。一番最後の子が小学校に入るとなると、45、6歳。その後数年して平均寿命を迎える。もちろん昔は平均寿命といっても、50歳で亡くなる人が多いというわけではなくて、幼児死亡率、つまり幼くして亡くなる人が多いから、結局平均寿命が50歳。50歳で多くの方が寿命が来て亡くなったわけではありません。60、70歳まで生きている方も沢山普通にいらっしゃいます。だけども、こういうふうにやってみると、違いがわかり過ぎるくらいにわかりますよね。つまり自由な年齢が平均的に、昭和の初め頃だと5年しかなかった。今は50年ありますよ、ということですね。これを、女性はもちろんですけれども、男性についても、どのように自分の人生の中で位置づけていくのかが大切だということを考えていただけるかなと思っております。

 ですから、これをご覧になっていただいて、ただ単に1年ずつ積み重ねていくというのではなくて、将来展望を含めて、自分の人生をどのように設計、計画していこうかと、そのように考えて、考えたとおりに、あるいはそれに近く自分が実現していける、そういう時代が今来ているんですね。そういう点では大変素晴らしい、幸せな、というか幸せを自分の手でつかめる条件が整っているということですね。皆がこれで幸せだというのなら簡単な話だけど、決してそうではない。自分の力で自分の幸せを作ったり、確保したりすることができる条件が整ってきているということです。 そこでですね、では人生とはなんであるのかということを考えていく。それを考えていった人といかなかった人の違いがどのように出てくるかといいますと、例えば、今日皆さん午後7時に元木公民館でこの講座がある、そこに行くという計画を相当前から、数か月前から自分の日程表に入れてやっている。それだけではなく今日も今日はどういう日程が入っているのかということを確認して、そして仕事のある方は何時に仕事が終わるからどういうルートで、ここで食事をして…とか、それに合わせてきちんと来られていますよね。それは、ひとつひとつ積み重ねたからここに来たんでしょうか。違うでしょ。ここに来たという、あるいはここに7時に自分がいるという目標を設定して、その目標を実現するために逆算して、準備をする時間や、家を出る時間、交通手段など、そういうことを自分でまとめあげてやった結果、思惑通りに物事が運んでめでたくここに来られたわけですよ。つまり、人間の行動というものには目標設定が先にあるんです。そしてその目標を実現するための手段の選択をそれよりも相当前に頭の中で行なうんです。そしてその中間には頭の中で考えた手段を実行する、つまり体を動かすということがあるわけです。

 人生もそれの繰り返しですから。そういう小さなことの一時間一時間の繰り返し。人生についても84歳で死ぬ、必ず亡くなるわけですから、事故も無く84歳まで生きられればまず大成功と考えてみれば、その時にどのようにして自分が死ぬかということが、言葉は悪いかもしれないですけど、目標と言いますか、人生の最終的な行き着き先というものをどのようにもっていくのかということがひとつ大きな目標設定ということになるんじゃないでしょうか。そしてそのために20代では何をしていくか、30代でどのような計画を自分自身で立てていくのか、どういう人とどんな共同生活とか、仕事とか、社会に対する奉仕であるとか、地域の活動であるとか…をしていくのかを各年毎に計画していくということができます。そして先ほども言いましたように、その計画したものが特に無理でなければ、全くの夢物語を考えていては実現できないでしょうけれども、現実に他の人もやっていることとか、あるいは自分はさらに自分の能力を伸ばして人の役に立つような行動、それがボランティアであり、仕事であり、をしようと思えば、それは実現できていくということですね。その自分で計画を立てて実現できたということが、まさにとりもなおさず幸福ということではないでしょうか。幸せだということですね。それをまず幸福とはなんなのかというひとつの考え方の、スポットライトのあて方ですね、あるいはその分析のための切り口の付け方を、幸福はこれだというふうに一義的に決めつけるのではなく、そういうものの考え方ができるのではないかということを問題提起として素材を提供したということですね。

 次に、幸福になりたいと思う人、これは100パーセント皆そうなんですね。だけども、実際に私は幸福だと思える人というのは全体の中で少ないかもしれない。50パーセントいないかもしれない。しかし、その基準は皆違います。例えば宗教的な言葉で言うと、特に仏教などでは、あまり多くのものを求めないようにしなさい、求めればまだ足りないというんで不足感が先立って不満が募るけれども、この程度で十分だと思って何事も対応していけば、そこで自分は満足感を得られるという言葉もありますよね。「足るを知る」という言葉もございます。ですから自分の目標とか、自分が最終的にどこに行くのか、その過程で40代の時にはどのような職業、生活でありたいかとかいうことは、人それぞれ目標を設定していただいて、それが高い目標であるとか、あるいは素晴らしい価値のあるものだとか、あなたの目標は程度が低いとか、そういうことは決してない。つまり、人それぞれ自分の人生ですから、自分の人生は自分で決めるということですね。これがなんといっても大原則です。

 ところが、その自分の目標を立てて一生懸命やれば目標が実現できるはずなんだけれども、何か阻害する要素があってそれができない、自分ひとりではその阻害する、行く手を阻む要素を取り除くことができないというものが人間には必ずあるわけですね。今、20代30代の元気な時には無くても、50代60代になればでてくるということもございます。例えば、私も今年から眼鏡を2つ持ってなければならないわけで、老眼なんですね。眼鏡で矯正できるならば、こういう道具で自分自身その問題をクリアすることができるのですが、必ずしもそう簡単なことばかりではありませんね。そうしますと、その人がなるほどこれだけの目標を持って生きている、これは素晴らしいことだし、社会的にも意義のあることである、だからその個人に対して皆で支援をしていきたい、その阻害するような状態を取り除いてあげたい、あるいは何かひとつ道具や支えのようなものがあれば前に進むことができるなら、その支えになるものをあげたい…、こういうことがありますね。これを難しい言葉で言うと福祉って言うんですね。

 つまり、福祉というのは、その人が自分でどんな人生を歩みたいかという目標を定めて、そこに行き着きたいんだけれども、自分の力でなかなか行けないといういわばハンディキャップのような要素があると、そこを他の人がカバーしてあげましょう、例えば国であるとか、地方自治体であるとか、あるいは一般のボランティアであるとか、家族、親族、地域の隣近所の人々とかがですね。そういうことが福祉なんですね。福祉っていうとよくわからないでしょ。どこからどこまでが福祉なのか、あるいは制度として我々の払っている税金で賄われるべきなのかどうなのかってことが常に議論されて、特にこういう不景気が長く続いてきますと、福祉にまわすお金も少なくなってきている、だから福祉そのものを見直さなければならないという議論がされております。だけども福祉というものは、皆一人一人目標を実現するとき大変なことがあるから、それを助けてあげましょうということなんですね。

 そこで、幸せになること、そしてそれを妨げる事情を取り除いてあるいは支援して幸せになろうとすることについて、今私たちが生きている2001年10月というのは歴史の中でどのような位置づけにあるのか。つまり、100年前の人も幸せを求めていた。200年前の人も幸せを求めて人生を送ってきた。人間の目標は常に幸せなんです。だから政治の目的は何かと言った場合に、最大多数の最大幸福を実現することなんだと言われてますよね。できるだけ多くの人たちの幸福が最大になるような施策を施すことが政治の目的であると言われてますよね。ですから、ここで言う幸福というのは、どの時代においても人々が、人類が、あるいは個人一人一人が求めるものなんだということです。しかし幸福という言葉は同じでも、時代によってその求めるべき具体的な姿かたちというものは皆違いますし、大きな時代の変化の中で求めようとしてもそれが時代によって受け入れられないことってものが沢山あるわけです。そして、現実にあったわけです。それを私なりの時代の分析でお話いたします。

 まず、明治維新と言われた明治元年、1868年から昭和20年、1945年の8月15日の敗戦の日までは、いわば国家が人生の目的と言いますか、国を強くすることがとりもなおさずその国民の幸せを実現することなんだと考えられていた時代。極めて大雑把な話かもしれないですけど、わかりやすい大きな捉え方としては正しいと確信しておりますので言いますが、国家の時代、国が強くなければ国民が幸せになれない、確かにそうですよね。相手から戦争で攻め滅ぼされてしまったら、幸せになるどころか生きることすら保証されないかもしれないでしょ。そのように信じて生きていた。そして明治時代の政策っていうのは富国強兵。欧米列強に負けないような軍事力を作るんだ、そして中国、当時の清に日清戦争で勝利した。それからロシア、日露戦争でも勝利した。国家レベルでみると確かに戦争に勝利したと言えるかもしれませんよね。そしてその結果乃木さんは神様のように、乃木神社っていうのもあるくらいですからね、なってるでしょ。しかし、あの乃木さんはいったい何万人の国民を殺したのか。人間の人命はほとんど省みられていないですよね。国家が無くなってしまったらそこに所属している国民だって無くなっちゃうんだから、一人一人の命よりも国の命のほうが大切なんだっていうものの考え方ですよね。

 そういう時代がずっと数十年間続いて、そしてどこかで戦争に大負けに負けて、こんなことではだめなんだという、まさに外圧の最たるものですよね。それで、日本は1945年から5年間くらい占領されたわけですよ。連合国側にね。だけど日本の指導者はごまかし方が上手で、国民に本当の事実を知らせないんですね。だから、本当は敗戦ですよね、無条件降伏なんです。敗戦以外の何ものでもないのに、今もって終戦って言ってるでしょ。終戦って言うと、誰かがどこかで戦争をやって何かのきっかけで戦争が終わっちゃったみたいな、傍観者的な言葉でしょ。絶対おかしいですよね。だって、同じ日を勝戦記念日というか、独立記念日と言っている国家だってあるわけでしょ。それと対比すれば、向こうがプラスだったらこっちはマイナス。そういう意味づけをしなければならないんですよ、本当はね。それから、同じようなことは、今占領と言いましたけれど、占領軍なんですね。サンフランシスコ平和条約を結んで50年になりますけど、50年前までは日本は占領されてたんですよ。連合国軍では日本を支配していたという歴史になってるんですよ。しかし、日本の歴史の教科書を見ると占領されていたなんてことは書かれていないし、言葉としても占領軍なんて言わないで進駐軍なんて言ってるでしょ。進駐軍っておかしいですよね。どう考えても本当の英語の言葉を日本語に翻訳しないで、捻じ曲げてしまっている。

 それと同じことが最近でもね、貿易摩擦ってことを10年、20年くらい言ってるでしょ。日本が強くなりすぎて経済大国になってしまって、アメリカを追い抜きそうだ、それで貿易摩擦が生じているとね。だけどアメリカは日本語を使いませんから。英語ですから。向こうは”Trad War”と言っている。Tradeっていうのは貿易、Warは戦争。つまり「貿易戦争」だってことをアメリカは言ってるわけですよ。それだけとてつもなく国家として対応しなければならない重要問題なんだって言ってたんですよ、1980年代にね。ところが日本人は「貿易摩擦」。摩擦だったら油を注げば滑らかになります。しかし、戦争に油を注いだらますます燃えさかって、大変になるでしょ。つまり、その問題を解決する対症療法すらまったく正反対ってことですね。それから摩擦ってのは部分的なものでしかないでしょ。例えば、トヨタとかソニーとかナショナルといったところが製品を輸出していって、アメリカの自動車業界に打撃を与えたり、テレビ業界を壊滅させたとかね。そういう程度の部分的なものでしょ。戦争と言ったらそうではなくて、その経済戦争の結果、国家が成り立たなくなるかもしれない、あるいは少なくても国家にとって不可欠の国益が損なわれるという重大な場面だ、とアメリカが捉えているわけですね。私ですらそういう直訳ができるにもかかわらず、日本の優秀な官僚の人たちはそれができないはずがない。ということは、わざと貿易摩擦と言い換えて、国民に対して「大したことはないですよ、皆さん。摩擦ですから。そのうち滑らかになりますから。」というふうに言っている。

 このことからも判るように、本当の真実の情報を与えないで、一握りの人たちがこの国と世界の秩序を維持しているんだ、という自負心を持ってやってきたわけですね。それが、この10年間次々とほころびが出てきてるでしょ。つまり、優秀なあの人たちに任せておけば私たちは幸せになれる、と思われてきたはずの人たちが実際にやってることをよく見ると、とんでもない。国民のためにやってくれているんだろうと信頼をして、期待をして、ある面ではお任せしていたにもかかわらず、実際にはそうでなかった。自分たちの仲間内の利益だけを尊重して、それを実現するためには国民、一般の人たちの幸福をあまり考えてくれない。逆に、一般の1億人の人たちが少しずつ不幸になっても、ほんのごくわずかの人たちに大きな幸せがもたらされればいいんだという判断基準、行動基準でものごとが行なわれてきたんじゃないか、と疑わざるを得ないようなことが我々の眼に沢山入ってきたわけです。

 今お話しているのは1945年を超えて、国家の時代、つまり国家が強く豊かになれば私たち国民も幸せになれるんだという時代を超えて、次の時代はどんなものが幸せの基準になったんだろうかということ。そういう場面で、その終わりころになって色々矛盾がでてきたという話になってしまいましたけれども。では、昭和20年からの数十年間は何が私たちの幸せの基準だったんでしょうか。それは経済ですよね。経済によって得られる富、物と金ですよね。物は金によって得られますから、つまるところ、お金です。お金を沢山得られれば幸せなんだという時代が数十年間続いた。その最後の年が平成元年、1989年12月29日。その日の平均株価は38,915円。日経平均と言われる225銘柄の平均株価が38,915円。じゃあ、今日は何円ですか。1万円とんでなんぼじゃないですか。つまり、ほぼ4分の1に減ってしまっているわけですね。株価っていうと、金儲けをやっている人たちだけの問題なんでしょ、と思われるかもしれませんけども、そうではない。なぜかっていうと、株の値段というのは紙に書かれた株式、株券があって、それの値段じゃないんですね。その実体はつまり、会社の値段なんです。日本を代表する会社、大企業の値段が国民から、あるいは全世界から評価されている数字、それが株価なんです。つまり、12年ほど前は38,900円したのが今1万円しかしないということは、それだけ、日本の企業の評価される価値が4分の1にまで下落したってことです。なおかつその4分の1という状態は、ずっと低迷したまんまでしょ。これから回復する兆しはどこを見たって見えてこない。

 2、3年前はコンピューターだとか、携帯電話だとかね、そういう分野ではすごい伸びを示したわけです。しかし今はなんですか。IT不況だ。おかしな話ですよね。つい3年前までは、これからの日本はITによって経済が導かれると言ってたわけですよね。それが今やITなんてものは不況の原因の最たるものだと言って、今までコンピューターを一生懸命作っていた会社が工場を閉鎖する。山形だってね、NECというのはIT関係では山形県内でも中心となってやっている事業所ですね、従業員の数も数千人いるし。そういうところで、もう作るべき商品が無いと、つまり作っても売れないから作るだけ損をするわけだからね。だから会社に来ないでください、ただし今すぐ首にするわけにもいかないから、当分の間来ないでくださいってね、これを一時帰休と言ってるようですが、そういうことをせざるを得ない。そういうちぐはぐっていうか、さらに5年後どうなるのかも、もちろん10年後どうなるのかもまったく判らないような経済状況です。それから官僚も頼りにならない、政治家だってまったく当てにならない。そういう状況がこの10年間ずっと続いてる。昔から続いてきたのかもしれないけども、経済の発展という目標があって、その目標を自分の手にしようと一生懸命一人ひとりが頑張ってきたから、その裏に隠れて悪いことをしている人が見えてこなかったという面もあると思うんですね。

 つまり、この数十年間というのはお金を目標にして、お金があれば幸せになれる、と。それではそのお金っていうのはどこで得られるかっていうと、会社だ、と。大部分の人が会社に所属して、職業は会社員。「どこに勤めてますか。」と聞かれたら「私はどこどこに勤めてます。」と答えるってことが、初対面の当然の会話になっているような時代がずっと続いてきたわけですね。その会社が大きくなれば、会社が利益を沢山出せば、会社が売上げを伸ばせば、その会社に所属している会社員は幸せになれる、このように信じて会社の業務に忠実に働いてきた。そして、ちょっとおかしいぞ、本当にそんなことで私たちは幸せになっているんだろうか、それから、これからも同じようなものごとの考え方や生き方で、ものの見方でいいんだろうか、本当に私たちに幸せが来るんだろうか、実現できるんだろうか、幸せの中で生きることができるんだろうかという疑問をもってきたのが、最近のこの10年間。1990年代の10年間なんですね。そして、外部の人たちからも、そうではないよ、というふうに付きつけられたのが株価の暴落ですよね。それが、今現在の状況なんです。

 さて、困りましたね。国家の時代は通り抜けて、そんな時代は真っ平ごめんだと、次に経済、お金を求める。会社が大きくなって強くなれば私も幸せだという時代。これも、そうではないみたいだな・・・、と。それが今です。だから、今どういう時代なのか、明日からどういう時代が、つまりどんなものが幸せとして求められる目標となるのかということが、誰一人として分からないのが、2001年10月25日、今日なんですよ。そう考えてみると1つは不安になる。だけども、もう1つは、これは自分の力で、自分の判断で自分の人生をつくることができる時代なのではないだろうか、という期待が膨らむ。この両方あると思うんですね。それで、1990年から11年たっても、まだ次の時代の目標がわからないというのが情けないですよね。だからこの10年間を「失われた10年」と言うんです。聞いたことあるでしょ。失われた10年というのはそういう意味だと私は理解している。本当に国民一人ひとりの幸せを願って、願うだけじゃなくてそれを実現しようとする本当のリーダーが、一所懸命に考えていろんな世界中の情報を集めて、これからの日本はこの方向に向かって行きましょう、そうすれば私たちは幸せになれるはずだし、私が道筋を立てて皆さんにお示しします、というリーダーが誰もいない。ここが日本の情けないところですね。

 このように歴史を振り返ってみると、大きく変わる時には全部外国からやられてるんですよ。明治維新だってそうでしょ。ずっと江戸時代が続いていて、アメリカとかヨーロッパとか、本当に地球の裏側から船に乗って来られて、何発か大砲を打たれて、それで日本はまるっきり変わっちゃったわけでしょ。革命が起きたわけですよね。外国の戦艦が何隻か来たことによって革命が起きたということでしょ。次の昭和20年だって同じでしょ。連合国軍からやっつけられて、無条件で降参ですって言って、まさにまったくの外部からの革命が起きたわけですよ。その2回の革命と同じことが、私の先ほどの理屈を当てはめますと、1990年に起きているんです。あと20年、30年たって今を眺めてみると。だから今は革命が起きて10年目だと考えてみるといいんです。そうすると、明治維新に革命が起きて何年か、まだ10年にならないくらいの時だ。それから、昭和20年に革命が起きて昭和30年ころ、まだまだ世界の債務国、つまり戦争で負けたことの賠償をしなければならない大変な債務国だったわけですよね。こんな債務国が本当に立ち直れるんだろうかということで、アメリカなどは心配をして日本にいろんな、食料も含めて、援助したというような事情もあるわけだけれども。そういうのが昭和30年ころですね。本当にこれから私たち国民は幸せになれるんだろうかと不安だった時代ですね。だから、今生きている私たちも不安であるのは当然なんですよ。今からまったく新しい、今までに私たちも私たちの祖先も経験したことのない幸せの基準がこれからつくられるのです。また、私たちがつくらなければならない。そして、その目途というか、いつ作られるのかってことをお話します。

 それは、2010年です。なぜかといいますと、明治維新から20年くらいたって、1890年に第1回帝国議会が開かれました。1890年の11月29日、私の誕生日です。だから、1868(明治元)年から22年たって帝国議会、つまり衆議院と貴族院という議会が開かれてるわけですね。そこで1つの体制が確立しているわけです。これから進むべき道はこれだというふうに決めるシステムがほぼ確立しているわけです。22年間かかってます。
 では、次の革命が起きた昭和20年から次の価値観が確立するまでにどれくらいかかっているかというと、22年目の昭和42年。この年に何があったかというと、債務国から債権国に転換したんです、日本が。今まで、昭和20年代にこんなにひどい負けかたをして、男性の働き手がほとんどいなくなっちゃったでしょ。そんな状態の中で、こんな国が立ち直れるとは思えないというふうに、アメリカや西欧の戦勝国側は思った。それがなんと、22年で債権国になって、昭和40年代ってのはまさに高度成長の時代でしょ。1年間に20パーセントとか25パーセントの成長率を達成したわけです。現実にね。そこで経済大国の地位が築き上げられていった。経済の目標に向かってそこでグンと近づいていったし、その方向性っていうものが国民全員に知らされて、全員がそこだっていうふうに迷い無く進んでいったと言えるんですね。

 だから、それを1990年の1月から当てはめていくと、22年目ってのは切りのいいところで、ほぼ2010年であると。まあ、あと9年か10年くらいってとこですね。そこに行けば、今からタイムトラベルで10年後に行けばどんな時代かっていうのが分かりますよね。だけども、そんなことよりも、これからの10年間は自分たちが自分たちの力で、自分たちの判断であらたな幸せの価値観というものを、生きるべき方向性というものをつくり上げることができる時代です。歴史というのは過去に何があったのかを知ったところで何の役にも立たないわけで、これからどうするのか、過去から将来に向けて今現在私たちはどこにいるのかということを判るために、歴史を知る必要があるんだろうと思います。そうすると、これは私の仮説、仮説というのは勝手な言い分ということですが、その仮説によりますと、これからの幸せというものは1億2500万人が皆同じ方向を向いていくと幸せになれるっていうことはない。一人ひとりがそれぞれ別々の方向を向いても幸せを模索できる時代。しかし、そのように言ってしまうと、じゃあどうすればいいのかってことが、ヒントとしても出てきません。

 では、それは何なのか。ちょっと図を書いてみますと、幸せの基準というものがですね、最初は国。国民の幸せは国家が大きくなって強くなることだ、まさにそういう政策を国全体で数十年間に渡ってやっていったわけですね。だから、昭和20年の敗戦の前の日本地図なんか見るとすごいでよね、日本の領土。いろんなところにあって。あそこまで国家が強くなって拡大してったわけですよね。
 次に、経済。経済によってもたらされる金、あるいは金によって得られる物、というのが幸せの基準、得るべき目標であった。ここは、いわば経済イコールそれを担う会社の時代ですね。
 じゃあ、これからどうなるかっていうと、来るのは間違いなく個人の時代なんですね。個人の時代だと言っても、個人の価値観は皆違うんだから、なんの答えにもならないようですけどね。そこで、幸せを実現するために人間が進もうとする時に、それを妨げる要素が出てくる。その妨げる要素を取り除く、あるいは無いものをそこに付け加える、そうすることによって大きく広がりますよ、大きく前に進みますよ、大きく満足が得られますよというものが、最初にお話した福祉なんです。そうしますと、個人個人がそれぞれ、共通の価値ではなく、別々な価値観を持って生きていける時代の共通な点というのはいったい何なのか。一人ひとりがあんた勝手にやりなさいよと言ったのでは、バラバラで幸せになれないでしょ。だから、誰かから助けてもらったり、誰かと一緒にやったり、自分に無いものを誰かに補ってもらうということが、絶対的に必要なんです。

 個人の時代っていうと、個人主義とか、他の人は関係無いんだというような間違った見方をされる場合があります。しかし、個人が強くなるためには、そして人生の中で幸せになるためには、絶対的に必要な条件として他人があるんですね。つまり、パートナーが必要なんです。そこをどのようにしてお互いに自分のパートナーを見つけ出すのか。それから、パートナーっていうのは強い者同士がパートナーになるのではなくて、自分にないものを補える人が本当の意味でのパートナーですよね。福祉にしろ、ボランティアにしろ、男女関係にしろ、夫婦にしろ、親子にしろ、皆そうでしょ。ある者同志が集まったって、そんなもの世の中に新たな価値をほとんどつくり出さない。逆に悪いことでね、力のある、悪知恵の働く人が集まると、ろくでもないことをやってしまう。そういうのは、実証されてるじゃありませんか。ですからこれからは、そんなに力も無ければ、知恵も無い、普通の人間なんだけれども、普通の人間が、少し足りない人間同士が集まって何かをやろうとしたらやれる時代なんですよ。だとすると、どんな人と一緒になるのか、2人なのか、10人なのか、100人なのか。それは、やろうとする目標によって、いかようにもメンバーを集めることができるでしょ。そのような時代。そのようなことができる時代です。

 そして最初に、女性の一生というもので、子どもにも夫にもあんまり制約されないで自分で自由に生きることのできる、あるいは職業に就いて一人前になろうと思って実現できる、その年数が50年間もあるということをお話しましたね。そこが、まさに今、個人の時代という中でやれる背景、やれる条件が私たちの前にあるということですよ。それはすべての人に共通に与えられていると言いますか、その環境の中に私たち一人ひとりがいるということですね。

 時間の関係もありますので、最後になりますが。本当の意味での一人ひとりの幸福というのは1人では作れませんよ。今日お集まりのように、人の話を聞いたり、人に対して質問をしたり、意見を言い合ったり、そしてその中で私が何であるのかが判る。他人がどんな人であるのかってことが分かる。そういう仲間作りが大切。そしてそれをふまえて自分自身の、自分が納得できる幸せ、自分の人生の目標を自分で想定して、そこに行き着くための努力、工夫、あるいは人とのパートナーというものをつくっていくと。そういうことが今まさに求められていると言いますか、私たちがやるべきことです。それを2010年まで待ってる必要は無いんですよ。もう、今日から、明日から、意識を持ってやっていいんです。人よりも早く幸せになって結構なんです。そして、自分が「こうやったら私は幸せになれたよ。2年間でこんなふうになれたよ。」ということを今度は他の人に対して、まだそこに気づかない人がいっぱいいるわけだからね、その人たちに対して皆さんが自分の経験を披露して、一緒にやりましょうと手を出せばいいんですね。その手を差し伸べられた人も幸せになれるし、いろんな幸せの連鎖、それも皆違う幸せだ、同じ幸せじゃなくてね。一人ひとりの個性のある個別の幸福というものが実現される時代になっているということが言えると思います。

 そこで、今日1枚公民館の方で資料を用意してくれましたけれども、そこに憲法13条の条文が書かれてますね。憲法を勉強すると憲法の3原則とかいうんですよね。3原則って何?日本国憲法の3大原則ってのは、今PKOだとか、アフガンだとか、派兵だとか、海外派遣だとか言ってるような、戦争を放棄する、つまり永久平和主義っていうか、平和を求めていくんだという原則が1つあります。それから、国民主権。なぜ国民主権かというと、大日本帝国憲法では天皇主権だったからね。それが日本国憲法になってまるっきり価値が変わったという意味で国民主権が大変重要な価値観になったわけです。それから戦争もやりたい放題やってきたわけだから、それを一切やりませんっていうのは憲法の前文でも言ってるし、第9条でも定めているわけですね。これも明治憲法と大きく変わったと、政治の実態も大きく変わったということで、大原則なわけですね。それと、基本的人権を尊重していくということですね。基本的人権というのは、明治憲法では人権ってことではなくて、臣民の、国民と言わないで臣民と言ってたんですね、臣民の権利義務というふうになってたんですけども、そうではなく一人ひとりが個人として尊重されて、その権利が憲法上いろんな場面で尊重されていく、守られていくってことが新しいと言いますか、今の憲法で明らかに定められたんですね。

 そこで憲法第13条というのが、ここに書いてあるとおり、「すべて国民は個人として尊重される。生命、自由、および幸福追求に対する国民の権利については公共の福祉に反しない限り立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」と言っている。
 歴史の中でこの意味を考えてみるとどうでしょうか。こういう幸福追求の権利、個人として尊重されるということが憲法13条で書かれているけれども、今までの50年間本当にこの理念が実現されてきたんでしょうか。考えてみると、実現されてこなかったんじゃないでしょうかね。そして私がお話した仮説が正しければ、今こそ、今から間もなくのところで、憲法13条が言っている理念、国民が、一人ひとりが、それぞれが幸せになることのできる時代が来ているんでしょ。五十数年前に憲法が目指したものが今やっと本当の意味で来つつあるということです。
 憲法の3原則とか言われてるけれども、私は憲法の中で一番重要なのはこの13条だと思うんです。だって、全部そこから出てくるんですよ。戦争をやって人は皆死ぬわけでしょ。自分の国民も相手の国民も。そんなことやってたら幸せになれないじゃないですか。国を守るためだと言って次々と死んでいったら。もう自己矛盾でしょ。国が強くなっても国民は死んでいくわけですからね、幸せになれるわけないですよ。それから国民主権ということだって当然ですよね。天皇に全部お任せします、私たちはすべてあなたに従います、そうすれば幸せになれますなんて、そんな素晴らしい神様は今いないですよ。ましてや有名な大学を出たというだけで、ごく一部の官僚が仲間だけで政策を作って、私たちの言うとおりにすればあなた方は幸せになれるんだから、悪いようにはしないから、なんてね。そういうことでは私たちは幸せになれないでしょ。だから、国民主権、基本的人権が守られるという権利は、すべてこの、人間が人間として、1人がひとりとして幸せになれるための制度なんですね。制度としての保障なんです。
 だから、私は憲法13条の幸福追求権、個人が一人ひとり独立した個人として尊重されて幸福になれるという権利が、憲法のすべてを言い表している条文だと思っております。そんなことで、この憲法13条を考えるという表題に戻ってきましたので、ひととおり私のお話を終わらせていただいて、後は皆さんのご意見や情報交換の時間にしたいと思います。どうもご清聴ありがとうございました。


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