長岡壽一講演録
札幌弁護士会主催
業務改革シンポジウム
――これからの事務所経営を考える―― |
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基調講演
知識社会におけるプロフェッショナル
―――新しい職業人生と事務所経営――― |
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札幌市 ロイトン札幌
2006(平成18)年11月28日
講師 弁護士 長 岡 壽 一
(山形県弁護士会会員、30期)
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ごあいさつ
ご紹介いただいた長岡でございます。
札幌弁護士会とは大変ご縁が深いようでございまして、一昨年(2004年)の9月に法律相談センター創立30周年に関するシンポジウムにもお呼びいただきました。また来年は日弁連の業務改革シンポがご当地で行なわれるということで、そちらの委員もしておりますのでまたお邪魔したいと思います。また、札幌市長の上田文雄さんは私の30期の同じクラスでして、札幌に参りますのが非常に近いような感じがしております。
今日はですね、何もレジュメも資料も準備しておりません。私からお伝えしたいことは知識とか情報とかではなくってですね、まあ考え方とか智恵とかいうものをお伝えできればよいなぁと思っております。特にあらかじめご要請のありましたのは、比較的若い方々が多く会員になられて、そしてその方がこれからの職業人生の中でどのように方向性を見定めていけばいいのかということを主眼にしてほしい、ということですので、そのようなお話をしたいと思います。
お聴きいただきたいこと
まず、自分自身を中心において、大きく見てみますと、時代の中で今どこにいるのかという視点がある。自分自身の人生が、生まれてからの人生、これからの人生ということで、今何歳でどのような段階にあるのか、という個人としての人生の位置づけがあろうかと思います。
それからさらに、水平的に見ますと、全国の中で札幌という地域がどうであるのか、あるいは全国の弁護士の数というものが大きく増えている、その中で札幌はどのような状況にあるのか。いわば縦軸と横軸ですね。その全体の中で、自分をおいて、自分を主体的に考えて行こうではないか、行くべきだ、というのが私の今日お伝えしたいことであります。
その中でも結論的に言いますと、プロフェッショナルを目指すということ、単なる専門職業人ではなくて、プロフェッショナルとは何なのか、それを目指すということはどのようなことなのであろうか、ということを、法律事務所のあり方との関連をも踏まえて、私なりに、勝手な見解になろうかとは思いますけれども、お話したいと思います。
大きな時代の流れの中で
まず、今の時代がどういう時代か。どういう時代なのか、色々な歴史的見方があると思うんですが、分かりやすく、私なりにですが、時代を3つに分けることができると思うんです。
一つは、国家の時代、つまり国を強くすることにより、その国に属する国民というものが幸せになれるという時代であります。それは日本では明治時代から昭和20年まで続いたと思われます。
その後何があったかというと、経済ですね。つまりお金、お金を得るための会社、会社を強くすることにより自分と自分の家族が幸せになれるんだ、という時代であります。これは1990(平成2)年で、その価値観の多くは崩壊したと見ております。
ではその後は、現在は何であるのかというと、個人一人ひとりがどのような人生をつくっていくのか、それができる時代ですから、これから将来に向けてというのは、一人ひとりみんな違う価値観を持って生きるという時代。憲法でいいますと憲法13条の幸福追求というものがそれぞれにおいてできる、本当の意味での個人の時代、個人主義の時代が、今私たちが創ろうとしいる、今生きている時代だと思います。
そのような中で、次に、人が生まれてから人生を終えるまでのことについて、考えてみたいと思いますが、これは私が今ご紹介いただいたように、まだ55、6年しか生きておりませんし、自分の人生を振り返るような立場でもございません。どなたでもご存知のようなですね、文献からちょっとご紹介したいと思います。
孔子の一生(論語)から学ぶ
「論語」というのは、孔子が弟子たちに話したことをまとめたものですね。その論語の中で、孔子が亡くなる直前だと思いますが、自分の人生を振り返ってこのように述べております。非常に有名なフレーズですので、ご承知の方も多いかと思います。
「吾 十有五にして 学に志す」、つまり15歳で学問を志した。「三十にして 立つ」、「四十にして 惑わず」、「五十にして 天命を知る」、「六十にして 耳順う」、「七十にして 心の欲するところに従えども矩をこえず」、と言っております。
つまり、10歳ごとにですね、自分の人生を振り返ってみて、ということでございます。孔子は74歳のときに亡くなられたと言われておりますので、70歳のところまでですね人生を述べておられるということでございます。これを参考にしますと、それぞれ自分の人生で10年単位くらいでどうであるのかということを考えてみることも必要なのかなと思います。
世阿弥の「風姿花伝」に学ぶ
それから、日本の古典で世阿弥という能の役者が書いた「風姿花伝」。ここでもですね、それぞれの年代においてどんな特徴があるのかということが書かれています。この本でも、10年きざみで書かれております。
24、5歳のころには、この辺がですね、芸能が定まるところの始まりだと、これは能についてですから、その能が定まる始めのところである、というのです。「得たらん人に事を細かに問いて、稽古をいや増しにすべき。」と書いてあります。つまり、得たらん人というのは、先輩で一人前になって素晴らしいなあと目標に思い定める人ですね、そういう人によく色々なことを聞いて、自分自身もますます稽古を盛んにしなさいということでございます。
次に34、5歳という項目には、「この比、盛りの極めなり。」「天下に許され、名望を得つべし。」とあります。つまり、このころの、能ですので我々の職業の年代とは少し違うと思いますし、時代も違いますけれども、34、5のころに最高になるんだと、そして人によっては世間からの名望を得ることができるようになるんだと、そして「上がるは三十四五までの比、下がるは四十以来なり。」、つまり40過ぎると能の芸能は落ちてしまうということです。
「脇の為手」を得ること
そして引き続いて44、5歳の項には、このように書いてます。「よき脇の為手を持つべし。」つまり、自分一人で何でもやると、自分が主役になって何でもやるというのは、40になると無理なんだ、だから自分を補佐したり、あるいはその人を主役に立てて自分がその人と共同して能をすべきだ、このように述べております。さらに、「この比まで失せざらん花こそ、誠の花にてはあるべけれ。」とも述べていますので、優れた資質と能力をもって努力すれば、40半ばまで花、つまり最盛期がありうるということでしょうか。
そして最後にはですね、五十有余というところでは、「せぬならでは、手立てあるまじ。」、しないほかないだろう、50になったら能の役者を辞めるほかない、と言っております。ただそこでですね、自分の父親である観阿弥のことを述べておりまして、52歳で亡くなったんだそうですが、その亡くなる少し前に能を舞った、その能はですね、主役を若い人に譲って、そして自分は易いところ、自分は舞いやすいところを、少なすくなと舞って、それでも花は残っていた、つまり素晴らしい演技者であったということを、自分の父親の才能を、述べております。
ですから私たちもですね、それぞれの年代に応じて、どんな人生を今歩むべきなのか、あるいは歩んできたのかを、見つめていくことが大切であって、それがその時々の幸せのあり方を実現する道なのかなと思います。
職業人生を三つに分けて
今お話してきた2つのことですが、十年ごとくらいで関係ないな、分かりづらいな、昔のことだな、と思われると思いますので、私の考えているですね、独自の3分割のことをお話いたします。それは、20代30代の、それから2番目が40、50代、それから60以降の20年ごとに分けてみたらいいんじゃないかと思っております。
20代30代の弁護士はですね、自分ではできると思ってるですね、後になってみるとできてなかったなと反省したりもしますが。それから、こんなに色んな専門分野を勉強したりして待ち構えているのに全然思ったようにですね、お客さんが来てくれないな、という不満を抱いたりするものでございます。じゃあそういう20代30代のころの弁護士の仕事は誰からもたらされるかというと、やはり先輩方からなんですね。それから仕事だけではなくって自分の生き方についての指導というものについても、先輩方からもたらされるものです。
つまりこのころはですね、20代30代で一番大切なのは良い先輩を持つことなんですね。20代30代の同期の人たちでですね、一所懸命にお話してて情報交換しても、大したことはないですね。そうじゃなくって、40代50代60代以上の先生方と親しくお付き合いするということが、この若いころには本当に大切なことだと思います。
実力を発揮できる4、50代
その後の40、50代というのはですね、20代30代の人たちについては先輩も面倒みてあげますけれども、40を過ぎますとね、そんな面倒を見てあげるような関係じゃないよということで突き放されます。40、50代というのは、もう自分で生きるほかない。自分の力で生きる、これがこの20年間だと思います。
ですからある意味では、自分の人生の実力、自分の職業人としての実力がまともに出る20年間ですね。上からも下からも支えられたり引きあげられたりすることがあまりなく、自分自身で自分の力で生きるというのがこの20年間だと思います。
これに対して、さらに年を経まして60代70代になりますと、先ほどの観阿弥、世阿弥の話にもありますように、自分1人で何でもやれるというのは体力的にも難しくなります。そうしますと、今までの人生経験の中から、色んな人たちとの交流があります。その後輩たちが、自分を支えてくれて、例えば団体の長とかそういう立場になってくださいよとか、まとめ役に是非先生にお願いしますよ、というようなことであったり、あるいは1人や2人でできないような何十人もいなければできないような弁護団の中で、その長になって顔になるトップになる、というような役割を果たしていくことにもなるのではないかと思います。
そのように分かりやすく単純に人生を3つに分けて、じゃあ自分は今どこにいるのかなというようなことを考えてみると、ある程度自分でも自分のことが、自分と他人の関係というものが、分かりやすくなるんじゃないかと思います。
弁護士急増の波が各地に
それから次にですね、法曹人口という問題がございます。もちろんご承知のように既にですね、定まった路線が進んでおります。3千人の合格者、それから法曹を輩出するというのがもう決まっておるわけですね。そうは言っても今までは、特に地方の方では、あんまり意識っていうか問題意識が無かったんですね。と言いますのは、今までも十数年来どんどん増えてきたわけだけれども、その増えた新人たちをほとんどが東京で吸収したんです。ですから地方ではほとんど影響がないなあということで、あんまり問題意識を持っていなかったところが多いんです。
全国的に調べてみますと、札幌の場合にはそうではなくって、3年前からか2年前からですね、57期からですね、今年が59期ですから、57期58期59期と3年に渡って増え方が顕著になっています。その分東京がですね、今年の傾向を見ますと、大きく吸収しない、人を吸収できなくなっている、ということがはっきり分かります。
私なりに調べた資料を見ますと、東京三会ではですね、過去五年間でほぼ新しい会員のですね占有率が、その会に入ったという占有率が、5、6年の間で55パーセント余り、全国で全体で千人入れば550余人を、東京という地域が吸収していたということです。それが今年はですね、一挙に5ポイント下がりまして、50%です、59期の場合。
これは大きな変化の予兆だと思います。その分ですね、その分地方にいっているわけです。それで私は山形県弁護士会ですけれども、隣の仙台では今年初めて、去年までほとんど動かなかったけれども、今年初めて例年の二倍以上の新入会員がでております。そのようにまず東京、大阪、名古屋、次にやはり高等裁判所所在地を中心とするような大都会へと波が移っていきますが、それが札幌の場合には、既にこの三年間で大きく動いてきているという状況であります。
その潮流がこれからどうなるのかということはですね、もっともっと大きな動きがうねりが大きくなるわけですから、じっくり考えて見れば、これは容易に推測できるわけですね。人口構造というのはすべての組織の基礎になる重要課題ですから、積極的に推測して見通していかなければならないと思います。
「すでに起こった未来」を見る
ドラッカーの言葉に、ピーター・ドラッカーというのは、アメリカの経営学者ですね、その方の言葉に、「すでに起こった未来」というのがあります。つまり、未来に起こる変化というのは急にどこかで生ずるわけではなく、もう今日の現実で何年後かの未来の状況が分かっている、十年後にどう変わるがというのは今日のどこかの予兆を見ればですね、すでに分かるんだということであります。
そういう視点をもって、この札幌において仕事をすることの意味合というのを考えていかなければならないし、そのような問題意識の中から今回のシンポジウムがですね、詳細な事前調査も含めて精力的に企画されて開かれたというのは、札幌弁護士会の素晴らしい見識だろうと思って、札幌弁護士会の皆様に対しては、いつもながら大変尊敬しているところでございます。
弁護士を求める地域がある
ところがですね、同じ札幌の裁判所という、地方裁判所の管内で見ますと、これは私の資料がですね2005年ですから、去年の2月の段階での調査なので、今では少し違うかもしれませんけれども、支部ごとに、裁判所の支部ごとに見ますと、とても今お話したような増えて大変だという問題ではない、逆の問題状況が、札幌の管内でも多くの支部に顕著に現実にあるわけですね。
と言いますのは、弁護士1人当たりのその管内の人口を見ますと、札幌地方裁判所の滝川支部では13万人、弁護士1人につき13万人、それから苫小牧では8万2千人、岩見沢では6万6千人、岩内では6万5千人、小樽でも4万5千人、浦川では4万2千人、こういうことですね。これは今お話し、発表した数字これは弁護士一人当たりのその管内人口が何万人なのかということです。つまり管内人口を弁護士の数で割った数、人口ということです。
これはどいうことなんだろいうかということを考えなきゃだめなんだろうし、それからさらには、今までは弁護士過疎というマイナスの情報として受け取ってきましたけれども、弁護士業務ということから考えれば、その地域戦略の観点からすれば、素晴らしいまだまだ多くの仕事の場所、弁護士を求めている地域、そしてその地域の人たちが多くいるんだ、ということが明らかだろうと思います。
事務所形態と弁護士の関わり
今までお話してことを前提として、とくに弁護士がどのようにして一人前になっていくのか、それとの関係で事務所という組織がどんな役割を持っているのか、ということを分析してみたいと思います。
まず事務所の形態は、私なりに分けますと3つに分かれるのかなと思います。分かりやすく典型的な例でですねお話しますと。まず弁護士が1人か2人の事務所、それから2人から4人までの事務所が2番目、それから4、5人以上の事務所が3つ目ということで分けてみます。人数を基準にしてですね。
それから弁護士がその事務所の中でどんな仕事をするのかという観点から分析してみますと、これも標準的なといいますか、典型的な例なので、分かりやすく抽象化して言いますので、違うよというところも多いと思いますけれども、ご了承ください。
職人的弁護士と従来の教育
まず、弁護士というのは、今まで職人的な働きをしてきました。職人というのは、自分自身が何でもするんですね、すべてをする。例えばものつくりの職人であれば、材料の吟味から、色んな道具を自分で手入れしたり、道具そのものを作ったり、ということも含めて、何でもするわけですね、最初から最後まで。これが職人としての弁護士。私自身の経験を省みても、そうであったように思われます。
その職人としての弁護士像を考えますと、他の職人と言われる人を見ても分かるように、他人を教育することなどできないんですね。つまり教育システムというものが無いんですね。ですから、今は違うと思いますけれども、私も30年近く前に弁護士になってますが、そのころ弁護士をですね、修習を終えて新しく弁護士になった人たちを、一人前にするシステムなんていうのは、どこでも聞いたことがなかったです。
それは何故かっていうと、「何も教えることはない、この事務所にいて自然と学んでいきなさい」と、こういうことだったと思います。それから、職人的な弁護士というのは、育つのに10年もかかりますよね。つまり、自分が自信を持って納得してやれるぞ、俺は一人前だ、ということになるまで、やはり10年くらいかかりますね。
それでは今、10年じっくりと育つのを待つかということも現実的でないし、今若手の方々は何を求めるのかというと、私を育ててくださいって言うんですね。私は一人で本当に育つかどうか自分では非常に不安だ、だから自分を育ててくれるような事務所に入りたいみたいなんです。これは良し悪しは別にしましても、現実の問題ですね。
しかし、私思うにですね、職人的なところから一人前になってきた人間からすると、なかなか育ててくださいと言われても育て方を知らないんですね。そこに現実的ないわゆるミスマッチって言いますかね、その求めるところと与える能力っていうところの違いが出てきてるんだと思います。ですから、これからはですね、職人的なことだけでは、人を育てることは難しいんじゃないかということです。
共同事務所におけるシステムづくり
それで次に、共同事務所といってもですね、2人か4人くらいのところは、比較的仲良く同じ部屋で仕事をやってて、隣の人がよく分かる、こういうのは家業的な事務所だと思います。連帯感があって、自然に情報は相手に伝達される、というような特徴があろうかと思います。
そのような事務所では、業務は比較的安定すると思いますが、やはり弁護士も長くやってる中で、ずっと仲良く同志としてやっていけるかどうかというのは、なかなかむずかしい。そのなかで実際に長く続いているのは、家族ですね。本当の意味での家族、親族、そういう人が共同事務所をやっているのは、長く続いてますね。まさに家業的な事務所です。
3つ目の分類としての、4、5人以上の事務所というのはですね、企業としての性格が強いということです。企業というのはどういう意味かというとですね、その事務所の情報システムをきちんと確立しておかないとうまく動かない、ということです。1人2人4人くらいまでだと自分が中心になって動かすことができるかもしれないけれども、4人以上10人となりますと、システムとしても事務所をつくらなければならない。それを企業と表現しているわけです。
弁護士同士のシステム、それから弁護士と事務員とのシステムということを含めて、つくっていかなければならないし、必ずやその中で目に見えるマニュアルというものを作ることが必要になってくるというのが、企業としての事務所の特徴だろうと思います。
その企業的な共同事務所のメリット、有利な点というのは、ある意味では分業ができる、それからそこに所属している人たちの専門分野というのを分けられる、自分の目指す専門性というものを発揮していける、ということがあろうかと思います。
ただ、それぞれの事務所の形態ごとに、半面においてデメリットもあるわけですし、誰が経営していくのか、中心になる人がやはり必要ですね。それから、経費が、人件費が特に多くなりますから、確実に収入を得られる、つまり顧客を獲得できるようなシステムをつくっていけるかどうかの課題。さらには10人もいますとね、その中で本当にみんな平等に一所懸命仕事をしているのか、あいつは仕事をしてないにも拘らず多く分け前をもらってんじゃないか、というようなですね、金銭の分配、それから業務の分担というものについての不満、というものがどこの事務所についても出てくると聞いております。
それだけにこの企業化された共同事務所では、合理性と人間性を備えたシステム化、そのやり方というものが難しいし、長く継続できるかどうかのポイントだと思います。
自己実現手段としての法律事務所
この間の弁護士と事務所というものの関係で言いますと、弁護士というのは一人では、職人的な弁護士であってもですね、ほぼ絶対と言っていいくらい、1人では自己実現できません。必ず事務所という組織を通じて自分の仕事を営んでいかなければならないのが宿命だと思っております。それでその中で、自分弁護士と、事務員と、それから依頼者との関係をどのように持っていくのか、ということが大きな課題となって、弁護士業務の中心をなすものだと思っております。
それで今日のシンポの一つのテーマになると思いますが、顧客満足、お客さんに、つまり依頼者に、どのように満足してもらえるのか。満足してもらえるということは、そこからさらにその顧客がさらに引き続いて継続的に顧客になっていくということも意味しますし、さらには別の人を紹介してくれるということも意味するわけです。そのためにはどうすればいいのかということです。
これもいろんなことをいっぱいあげてね、10も20も要素をあげてですね、あれもこれもって言ってると、訳が分からなくなります。で、二つだけ言います。これだけやれば顧客は満足して、事務所あるいは弁護士は発展します。
依頼者がよく話せること
1つは、依頼者の言うことをよく聴くことですね。聴くというのは、弁護士の立場ですよね。だから本当はもっと正確に言うと、依頼者が弁護士によく話す、ということです。依頼者が十分に話していないのに、自分ではよく聴いてると思い込んでいる弁護士が意外と多いんじゃないでしょうか、たぶん、私を含めてですね。
ですから、よく聴くということは、そうではなく、依頼者から、依頼者の希望、考えていること、弁護士に伝えたいことを、依頼者が何でもお話できるという関係を持つ、その関係というのは、弁護士と依頼者との一対一の関係というだけではなくて、法律事務所という組織としての関係を持つということですね。つまり事務員のシステムを含めてです。
なぜかといえば、最初に依頼者から情報を受けるのは、弁護士ではありません、事務員です。大抵は電話を取る、そこで事務員がどう対応するのかも含めて、事務所全体のシステムとして話をよく聴く、それからもちろん相談の場面で、よく話をしてもらう、さらに引き受けた後、事務を処理する中での必要な場面場面で、話をよく聴く、話をしてもらうということが1つですね。これが顧客満足の1つの要件です。
依頼者がよく理解すること
それからもう1つは、今度は逆にですね、情報の流れが逆に、弁護士から依頼者に対して、情報がよく流れているかどうかという面です。つまり、弁護士が依頼者に対して説明をしているかどうか、その説明が依頼者がよく分かって、理解しているかどうかということです。自分は、弁護士は、全部必要なことをお話しているつもりになっても、相手に伝わっていなければ、相手が理解していなければ、これは分からないですね、依頼者は何を言われているのか分からない。それでは満足するはずがありません。
今お話した2つの要素がありますと、その2つの要素が現実のものになれば、依頼者は納得するんです。納得という心理状況になります。そして、納得することによって満足するんです。今お話しているのはね、満足という、あのCSとか言われていますね、顧客満足、その満足のことですよね。
感動、感激の事務所づくりへ
それで今はですね、今時ですね、顧客満足と言っているのは本当は古いというか遅いというかね、レベルが低いんですね。今お話したのは当たり前のことなの、それを当然しなければならない、それは標準的なレベルでしなきゃならないことです。今例えばサービス業の業界では、顧客満足なんて言ってたら相当遅れてる企業だなって言われます。
今の先端的な企業、企業経営者というのは、顧客満足ではなくって、それを通り越したところにある、顧客感動、あるいは顧客が感激する、ああこんなことまでしてくれるのかありがたいことだと言って、満足を超えて感動する感激する、というところまでサービスを提供できるかどうか、というのが、現在の企業経営の中では求められています。
ですから私たちもやはり、先生と言われるような職業ではありますけれども、顧客の人生が係っているわけですから、その人生の主体であるところの顧客が満足するのがもちろんで、さらにその人から見て本当にありがたいと思われるような、感動の事務所経営というものをしていかなければならないのではないか。
それは工夫をすればできることなんですね、ただどのように工夫するかはそれぞれですよね。なぜかと言えば、みんな同じことをマニュアルどおりにね、札幌弁護士会で業務のマニュアル作りました、そして400人が同じことやったって、それはもう当たり前のことなわけだから。そうでしょ、みんなが同じことをやってしまったら、満足するもしないもなくなってしまいますよね。ましてや感動なんてするはずがないですよね。
それじゃここから先は、1人ひとりの弁護士が、自分で、自分の職業人生の中で、特徴を出して考えに考え尽くしてですね、独自のシステムをつくり上げていく、自分の職業というものをつくり上げていく、ということが大切だと思います。
知識社会とプロフェッショナル
それで次にですね、ちょっと耳慣れない言葉かもしれませんけれども、今日の私のテーマの中にですね、知識社会という言葉を使っております。知識社会というのは、まだ一般的ではないのかもしれませんが、使っている人においてはですね、もう20年も30年も前から意識されている言葉です。
これはどういうことかと言いますと、時代の流れの中でですね、例えば農業社会とか工業社会、情報社会といった使われ方をしてますね。そして、今その流れの中でこれからの社会が知識社会いう言葉で特徴づけられるということであります。その知識社会の中での我々弁護士がプロフェッショナルになるためにどうあるべきなのかということが、私は、今日のお話のテーマとさせていただきたかったわけです。
そのためには、知識社会というのは何なのかということを考えなければなりません、その中で弁護士というのは、どういう位置づけがあるんだろうかということであります。知識社会って何でしょう。今言われている、知識が、例えば専門的な知識が、価値の中心にある時代でしょうか。
情報社会の上の知識社会
じゃあその前にですね、情報社会というのは、今も情報社会でしょうけど、情報そのものが価値のある時代を言うんでしょうか。・・・違います。方向がまるっきり違う。知識社会について言えば、情報社会の上に成り立っているのが知識社会です。そうして、そこでは知識というのは価値がなくなっている社会なんです、よく考えてみると。
自分の職務の中の経験に置き換えてみてください。たとえば20年30年やっている弁護士の方は、20年前と比較してください。20年前の法律相談とか事件の依頼というのは、依頼者が知らない、つまり知識がないから、知識を聞きに来た、知識を持っている人に相談に来た、という性格が強かったと思います。そうですよね。
では今はどうでしょうか。弁護士に相談に来る前に、多くの人は、自分の問題ですから、自分の問題ですから真剣に懸命に情報を得ようとしますね。昔であれば本屋に行って、法律の専門書が並んでいるところに行ってね、立ち読みして分かんないなあという過程を通って、弁護士の事務所に行って相談に乗ってもらいたいということを言ってました。
しかし今やそんなことないでしょ。本なんか見なくたって、それよりももっともっと簡単に、自分の自宅の中で簡単に専門知識が手に入るし、今自分が悩んでいることその具体的場面について、どんな解決方法があるのかということも、自分の自宅の中で分かってしまいますよね。つまりインターネット、そこで検索機能が素晴らしく発達しているでしょう、キーワードを入れると1秒でさっと出てくるじゃないですか。つまり我々の事務所に来る前にですね、多くの人がそのようにして知識を得てから来るんですね。
それは、知識を得て、その知識で自分が解決できるという人なんです、あるいはそれに近い能力を持っていると言えるかもしれません。つまり、いずれにしたって、自分は知識がある、知識を得られた、専門知識を得られた、だけども具体的に私の場面で私の悩みの中でどのように対処すればいいのかということが、最後の場面で決断と対処の仕方が判らない、あるいは自分がやろうと思った方針と内容が本当にそれでいいんだろうか、別の方法があるんだろうか、それの判断がつかない、だから法律事務所にあるいは相談センターに来るんです。
知識の価値が失われる?
ということは、知識そのものには価値が無い、・・と言うとね、言いすぎですけれども、それを求めてくるということはない。だから情報社会の上に成り立っている知識社会においては、法律の知識私持ってますよ、弁護士ですよ、だから知らない人に教えますよという、そういう仕事の仕方は成り立たない時代だということです。今日から明日に向けては。
そのことをですね、自分自身で自分の職業というものを今の社会の特質に当てはめて理解できるかどうか、理解して問題意識を持って、先ほどの満足とか感動とか感激とかいう目標に向けてやれるのかどうかが、プロフェッショナルの方法に行くのか、それとも単なる知識労働者に止まるのか、これからの弁護士は数が多くなれば当然そのような二極分化をするはずです。弁護士になればすべてプロフェッショナルになるなんてことはありえない時代だと思います。ですから自分はどちらなのか、知識労働者でいいですよ、それでいいじゃないですか、それ以上望みません、という人もいたっていい。それでも弁護士の仕事はできるのですから。
さらにプロフェッショナルということは何なのかを、自分自身で考えに考え抜いて、そして時代の中で自分自身を深めていこうというのが大切になる。そうしようと思う人もいてよろしいと思います。ですから、こうあるべきだというようなことを私からお話しする立場にはありませんので、その程度にさせてもらいます。
プロフェッショナルへの協働
そこでですね、じゃあプロフェッショナルとしての弁護士を自分は目指して行こうという場合に、特に20代30代の人はどうするのかということです。それに対してもう1つの課題は、その半面において、50代60代の人、先輩はどうしてくれるんですかという話です。
これは一方だけががんばっても駄目なんです。若手の方とベテランの方が、両方とも自分の立場や自分の役割というものを理解して、それが対抗関係になってですね、それがちょうどぶつかるところに問題の解決策というのが出てくるはずです。
問題の場面が窮屈になって、そして何らかの今までにないような新しい解決策を見いださなければならない、新しいシステムを創らなければならない、という場面が、時代の中で必ずあります。そういう場合において、同じような考えの人、同じような立場の人だけが懸命に考えてみても、絶対に新しいシステムは出てきません。
新しいものが出てくるには、必ず2つの異質のものが、異質な人物の考え方が、違う人、例えば異質というのは分かりやすく言えば60代の人と30くらいの人、それから女性と男性とか、それから弁護士と依頼者、違う立場の人、その人が持っている人生観なり情報なりというものを一緒に出し合う、その中で新しいシステムが必ず生まれます、必ず生まれます。
それをこれから札幌弁護士会の400人の会員の方々が、さらに毎年30人40人50人と新しい会員が入ってこられる中で、どのようなシステムを創っていこうとするのかが、いわば1人ひとりじゃなくてですね、弁護士会という組織に問われるのではないでしょうか。
そして、その弁護士会が、全国の52の単位会の中で先駆けて、私の弁護士会ではこのような新しいシステムを会員が共有していますよ、ということになれば、そこは非常に魅力的な仕事場になろうかと思いますし、その人たちは、そこに入っている人たちは、みんなが共通にプロフェッショナルに近づいていくことを確認し合う、そして確信し合える、自信を持って自分自身の人生というものを語り合えるような仲間になれるのではないでしょうか。
50を過ぎたら飽きてくる?
ピーター・ドラッカーの本の中にこういう言葉が書いてあります。「知識労働には習慣性がある。20年以上続けているとやめられなくなる。そのくせ同じ仕事では、情熱をもって働き続けることができない。燃え尽きる。」
これは本当だな、と思っている人、何人もいるでしょ。いや、私自身もそんな感じになりつつあるもんですからね。
それで仕事を順調にしてきてもですね、50歳にもなると疲れて気力を失って飽きてくる、だけども心身ともに働き盛りではある、その彼らが仕事に疲れ飽きたということは、第一の人生で行き着くところまで行ったということであり、そのことを自覚したということだ。そこで50歳のころをひとつの転機にして、そこからですね、いままでの仕事・職業というものをベースにして、今までやってこなかったようなことをやりましょう、というのが彼の提案ですね。
それは例えばNPOの活動であるとか、色々な地域社会や自分のですね職業以外のところでの働きというものもあると思います。ただ今日はシンポのテーマに即して、弁護士会の中での業務改革という当てはめ方をすれば、50代60代の人が、20代30代の人に対して、今まで自分がやってきた職業上の経験を、情報を伝えていく、そしてその人たちが一人前に育っていくということを手助けしていく、それによって自分自身が、つまり50代60代の方々が、自分の人生をさらに豊かに発展させて、新たな成長を手に入れていく。もちろん20代30代の若手の方々も、先輩の人生というものを見てね、その調子で受け入れて、そして自分の人生の一つの目標として、そのうち一部であってもですね、取り入れていく。ということが、これからの、今日お集まりいただいたそれぞれの年代の方々の、役割なのではないでしょうか。
ベテラン弁護士への期待
ドラッカーは、「仕事に意欲を感じなくなった者は、成長が止まったとされる。しかし、仕事さえ変えれば、再び成長するようになる。」とも言っています。そのような場面を、我々弁護士の業務の中でつくっていくということも必要なのではないかと思う次第であります。
それが例えば共同事務所の中で、例えばですね弁護士が10人います、その中でトップが60歳の弁護士ですとなれば、その弁護士は自分の体をですね、働かせなくても動かさなくても、そのいわば戦略的な大切な部分というのを担って、事件処理の方針を見立て、同じ事務所の他の方々を指導していくということができるはずです。そうすることが事務所全体としてはかえって、一所懸命に身を粉にして働くよりも、頭を使ってゆったりとした時間を過ごした方が、事務所全体としては生産性が上がるかもしれません。
師匠を得てジェネラリストに成長する
そんなことも含めまして、弁護士会としての弁護士同士のあり方、それから共同事務所の中での弁護士の関係のあり方というものを考え直す一つの契機になるのではないかと思います。やはりその点繰り返しになりますが、20代30代の人において、その人の立場から見ますと、大切なのは自分の師匠を持つことです。自分の師匠、その師匠を得ることにより成長することができる。特に弁護士とかプロフェッショナルと言われて人から先生と言われるような職業において、自分1人で本を読んで研修を受けてですね、私はこれが専門だなんて言っても、これだけでは単なる知識に過ぎないでしょう。
知識は、知識社会の中では価値が無い、・・極端な言い方をしますけれども。ですから、そういう意味での専門知識だけにこだわってはいけないのではないかと思います。そうではなく、もっとジェネラリストとして、総合的になんでも、人間というものが判るというような弁護士になることが、これからの業務のですね、また業務を通じての自己実現そして成長のための、大きな課題だろうと思っております。
ということで、私の勝手な言葉でですね、何を言ってるんだか分からないと言われるような拙い、批判の対象になるような多くのことを申し上げたかもしれないですけれども、一応の1時間をですね使わせていただきました。熱心にご清聴いただきありがとうございました。
(参考)
「論語」 為政 第二
孔子が自らの人生(74歳で没)を省みて、弟子たちに話したこと。50歳にならなければ天命を知ることができない、と言える。各年代によりその年齢に相応した人生を生きることが大切だと説いているものと解される。
「吾 十有五にして 学に志す。」
学問をしようと決心した。
「三十にして 立つ。」
学問についての独自の見解が確立した。
「四十にして 惑わず。」
事理に明らかになって、惑うことがなくなった。
「五十にして 天命を知る。」
天が自分に命じ与えたものが何であるかを覚り、世の中には天運の存するということを知ることができた。
「六十にして 耳順う。」
何を聞いても皆すらすらと分かるようになったし、世間の毀誉褒貶にも心が動かなくなった。
「七十にして 心の欲するところに従えども矩をこえず。」
心の欲するままに行なうことが、いつでも道徳の基準に合って、道理に違うことがなくなって、真の自由を楽しめるようになった。
(参考)
世阿弥著 「風姿花伝」 (岩波文庫)
二十四、五
一期の芸能の定まる初めなり。
これも誠の花には非ず。(時分の花)
得たらん人に事を細かに問いて、稽古をいや増しにすべき。
三十四、五
この比、盛りの極めなり。
天下に許され、名望を得つべし。
上がるは三十四五までの比、下がるは四十以来なり。
四十四、五
よき脇の為手を持つべし。
この比まで失せざらん花こそ、誠の花にてはあるべけれ。
五十有余
せぬならでは、手立てあるまじ。
(父観阿弥は、西暦1384年52歳で亡くなったが、その数日前、)物数をば早や初心に譲りて、やすき所を少なすくなと色へてせしかども・・、花は散らで残りしなり。
(参考)
職業人生の3つの相
二十代で社会に出て仕事を始めることを想定すると、その後の人生をおおよそ次の3つに分けて、それぞれの特徴を捉えることができるのではなかろうか。
二十代、三十代
一人前になろうと努力する時期
素直な心で多くの人の人生を聴く
先輩から引き立ててもらうことにより仕事をする
四十代、五十代
自分の力で仕事をする時期
他人を当てにできない
もっとも実力を発揮することができる
六十代以降
後輩から支持されて名誉な役職を受ける
業界や地域などの社会全体を統率する
後輩を指導し、仕事を与える
(参考)
ピーター・ドラッカー著
「断絶の時代」 (ダイヤモンド社)
第2章 変わる仕事
「知識労働には習慣性がある。20年以上続けているとやめられなくなる。そのくせ同じ仕事では、情熱をもって働き続けることができない。燃え尽きる。
順調にいっても45歳頃ともなれば、疲れ、気力を失い、飽きる。
順調にやってきた45歳あるいは50歳といえば、心身ともに働き盛りである。その彼らが、仕事に疲れ、飽きたということは、第1の人生で行き着くところまで行ったということであり、そのことを知ったということである。
65歳という歳は、最初の仕事から引退する時期としては遅すぎる。
第二の仕事の卸売市場をつくる必要がある。
仕事に意欲を感じなくなった者は、成長が止まったとされる。しかし、仕事さえ変えれば、再び成長するようになる。」
「経営者の条件」 (ダイヤモンド社)
まえがき
「自らをマネジメントできない者が、部下や同僚をマネジメントできるはずがない。マネジメントとは、模範となることによって行うものである。自らの仕事で業績をあげられない者は、悪しき手本となるだけである。
成果をあげている者はみな、成果をあげる力を努力して身につけてきている。そして彼らのすべてが、日常の実践によって成果をあげることを習慣にしてしまっている。しかも成果をあげるよう努める者は、みながみな成果をあげられるようになっている。成果をあげることは修得できる。そして修得しなければならない。
成果をあげることに対して報酬を支払われる
エグゼクティブの成果とは、組織の中において、組織を通じてあげるべき成果である。
成果をあげることは、本人にとって自己実現の前提となっている。」
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